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御所で将軍を饗応する行事を「垸飯」(おうばん)といいます。 特に正月に行われる饗応を「正月垸飯」と呼んだそうです。 「椀飯」とも書かれるようですし、「大盤振る舞い」という言葉の語源ともなったようです。 饗応の儀式は、主従関係を再確認するためのもので、将軍と御家人が同席して飲食をすることで、その結び付きをより強固なものしていったといわれています。 |
「正月垸飯」は、正月3が日に行われ、有力御家人が日替わりで担当しました。 「垸飯」を担当した者は、その後の「御行始」に同行することができます。 「御行始」というのは、将軍が有力御家人の邸宅を訪問し、饗応を受ける行事のこと。 |
1181(養和元年)正月元旦の「垸飯」は、千葉常胤が担当しています。 その際には3尺の鯉が献上されています。 |
頼朝が上洛をした翌1191年(建久2年)正月元旦も千葉常胤の担当ですが、右大将への昇進があったので、特に豪華な饗応だったようです。 贈物としては、次の物があげられています。 千葉常胤・・・剣 千葉胤正・・・弓箭 相馬師常・・・行縢(むかばき) 千葉胤盛・・・砂金 千葉胤頼・・・鷲羽(箱入り) その他、千葉一族によって馬5頭が献上されています。 翌2日は、三浦義澄の担当です。 岡崎義実が弓箭、和田宗実が行騰、三浦義連が砂金、比企能員が鷲羽を献上し、三浦一族らによって馬が献上されています。 翌3日は、小山朝政でした。 下河辺行平が剣、小山宗政が弓箭、小山朝光が行縢、下河辺政能が鷲羽、小山朝政が砂金を献上し、馬5頭が献上されています。 |
1193年(建久4年)正月元旦の「垸飯」は、千葉常胤が担当しています。 大内惟義が剣、八田知家が調度、梶原景季が行縢を持参、そして、千葉胤頼が砂金、千葉常胤が鷲羽を献上し、相馬師常らが馬5頭を引きました。 |
1194年(建久5年)正月元旦の「垸飯」は、足利義兼が担当しています。 足利義兼が征箭弓馬、以下。里見義成が剣を献上しています。 |
1195年(建久6年)正月元旦の「垸飯」は、足利義兼が担当しています。 大内惟義が剣を持参し、弓箭以下の進物があったそうです。 翌2日は千葉常胤が、3日は小山朝光が担当しています。 |
1181年(治承5年)1月1日卯の刻(午前6時頃)、源頼朝は鶴岡八幡宮を参拝します。 そして、1月1日の朝を「鶴岡八幡宮へ奉幣奉るの日」と定めました。 これが鶴岡八幡宮の元旦初詣の始まりだといいます。 |
源頼朝は、鶴岡八幡宮の初詣の他、走湯山・箱根山の二所権現と三嶋社へ参詣する二所詣も行っています。 二所詣の最初の記録は1188年(文治4年)正月20日。 |
鶴岡八幡宮の手斧始式は、源頼朝が鶴岡八幡宮を建てた時にも行われた儀式(1月4日)。 |
鶴岡八幡宮の除魔神事は、源頼朝が幕府で催した「御弓始」の儀式を起源(1月5日)。 |
鶴岡八幡宮は、源頼朝をはじめとする武門の篤い信仰を受け「弓矢八幡」と呼ばれていました。 |
鎌倉市雪ノ下2-1-31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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