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満 願 寺
佐原義連の墓(横須賀市)

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横須賀満願寺


 満願寺は、三浦大介義明の末子十郎義連が建立(現臨済宗建長寺派)。

 義連は、三浦氏の本拠衣笠城の東南、佐原を領したことから佐原を名乗る。

 収蔵庫に安置されている観音像は、義連の面影を伝えているとされ、義連が平氏追討に赴く際に、運慶に作らせたと伝えられているが、実際は運慶の流れをくむ鎌倉仏師の作と考えられる。

 本堂背後には、義連の墓とされる五輪塔がある。






佐原義連の墓
佐原義連の墓


 佐原義連は、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に一族と共に参じた。

 『吾妻鏡』には、三浦に訪れた頼朝に対して下馬の礼をとらなかった上総介広常を戒め、そのときの酒宴の席で、広常と岡崎義実(義連の叔父)が喧嘩をはじめたときも両者をたしなめたという話が記されている。

 義経に従った一ノ谷の戦いでの鵯越の逆落しでは、「三浦にとっては馬場も同然」といって、真っ先に駆け下りたという。

 1189年(文治5年)の奥州征伐にも参加し、陸奥国の会津を与えられ、1992年(建久3年)の頼朝の上洛にも従い、左衛門尉に任じられている。

 佐原氏は、三浦氏が滅んだ宝治合戦では、北条方につき、鎌倉幕府滅亡時には、足利尊氏に従った。

 戦国時代に北条早雲に敗れ滅亡する。


〜頼朝に褒められて北条時房の烏帽子親に。〜

 1189年(文知5年)4月18日、北条時政の三男(のちの時房)が御所で元服。

 烏帽子親は義連。

 『吾妻鏡』によると、頼朝に加冠を命じられた義連は、多くの長老が居並ぶ中で、しきりに辞退をしたというが・・・

 頼朝は、上総広常岡崎義実が喧嘩になったときの采配が見事であったことを褒め、北条政子が特に可愛がっている子なので将来を考えて決めたことを語ったのだという。 

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佐原義連の墓
佐原義蓮:『前賢故実』より
(国会図書館デジタルコレクション)


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満願寺
満願寺

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