![]() |
|
手斧始の神事は、古来より重要な工事に先立って行われた儀式。 源頼朝が、1181年(養和元年)に鶴岡八幡宮の仮の宮を建て直したときも、1191年(建久2年)に焼けてしまった鶴岡八幡宮を再建したときもこの儀式が行われたそうです。 現在では、鎌倉の建築関係者の仕事始の意味で行われています。 二の鳥居から段葛を御神木が運ばれ、舞殿前に用意された祭場に奉安、神職による祭儀が行われた後、手斧始の儀式が執り行われます。 |
1月4日 13:00から |
※ | 御神木が二の鳥居を出発するのは、12:30頃になります。 |
1191年(建久2年)3月4日、鶴岡八幡宮は小町大路で起きた火災により焼失(建久二年の鎌倉大火)。 源頼朝は、すぐさま再建に取り掛かりますが、再建する際、材木座海岸に陸揚げされた材木を「木遣唄」を唄いながら鶴岡八幡宮まで運び、棟梁が手斧をかけたり、墨打ちをしたのだと伝えられています。 再建された鶴岡八幡宮に石清水八幡宮の神霊を迎える儀式を再現したのが12月16日行われる「御鎮座記念祭」です。 鎌倉木遣唄(鎌倉鳶職組合木遣保存会)は鎌倉市指定芸能。 一説によると・・・ 木遣唄は、1202年(建仁2年)に栄西が京都の建仁寺を建てる際に「エーイサイ、ヨーサイ」という掛け声をかけさせたことが始まりなのだとか・・・。 ただ、頼朝の時代から木遣唄が唄われていたとすると、時代が合わないのですが・・・。 |
舞殿前の祭場では、古くから伝えられた方法で、手斧をはじめとした大工道具の所作が披露されます。 幣振役(斧振り役)・工匠(尺杖役)・鋸役・墨打役・手斧役・槍かんな役の順で役目をつとめます。 |
手斧始式が終わると鳶職の皆さんによる梯子乗り。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|