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盟友安達景盛との戦い
〜畠山重忠の乱〜

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 『吾妻鏡』によると・・・

 1205年(元久元年)6月22日、畠山重忠討伐のため、北条義時葛西清重・千葉常秀・大須賀胤信・国分胤通・相馬義胤・東重胤・足利義氏・小山朝政三浦義村・三浦胤義・長沼宗政・結城朝光宇都宮頼綱・八田知重・安達景盛・中条家長・中条義季・狩野宗茂・宇佐美祐茂・波多野忠綱・松田有経・土屋宗光・河越重時・河越重員・江戸忠重・澁河武者所・小野寺秀通・下河辺行平・薗田成朝らが出陣。

 そして、武蔵国二俣川で重忠と出会うと真っ先に進み出たのが安達景盛主従七騎。

 弓馬の友が先頭を進んでくるのを見た重忠は感動し、子の重秀に景盛との戦いに命を掛けてくるよう命じた。

 景盛と重忠の戦いは何度にも及び、加治宗季はじめとする景盛の家人が討たれた。

 弓の戦いも刀剣の争いもなかなか決着がつかなかった、愛甲季隆の放った矢が重忠に当たり戦いは終わった。



畠山重忠主従の五輪塔
リンクボタン畠山重忠主従の五輪塔
(深谷市:畠山重忠公史跡公園)





 安達景盛は、源頼朝の側近だった安達盛長の子。

 母は頼朝の乳母だった比企尼の長女丹後内侍。

 幕府重鎮の地位を築くが、源実朝が暗殺されると出家。

 大蓮房覚智と号して高野山に入り、実朝の菩提を弔うために金剛三昧院を建立して高野入道と称された。



畠山重忠の乱


リンクボタン潔く戦うことが武士の本懐

リンクボタン武蔵国留守所惣検校職と畠山重忠
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