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相模の武将・愛甲季隆
(厚木市・宝積寺)

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厚木・宝積寺


 弓の名手として知られる愛甲季隆は、武蔵七党の一つ横山党の一族で、愛甲庄に進出し一帯を領した。

 宝積寺には、季隆の墓と伝わる五輪塔が残されている。

 季隆は、下河辺行平とともに弓の名手として、源頼朝の親衛隊として仕え、頼朝の子頼家の弓の師範としても活躍。

 1193年(建久4年)に行われた富士裾野の巻狩りでは、頼家が鹿を射止め、季隆も褒美を得たという。

 1205年(元久2年)、北条時政に騙されて鎌倉へと向かう畠山重忠は、二俣川で幕府軍に襲われるが、このときに重忠を射倒したのが季隆だといわれている。

 1213年(建暦3年)に起こった和田合戦で和田義盛に味方し、和田一族とともに討ち死にした。 



愛甲季隆五輪塔
愛甲季隆の五輪塔


リンクボタン畠山重忠の乱

リンクボタン和田合戦





〜愛甲季隆のものと伝わる宝篋印塔〜

愛甲季隆宝篋印塔
宝篋印塔
(円光寺)

 円光寺は、小田急線「愛甲石田」駅から5分程度のところにある寺。

 宝積寺の五輪塔・円光寺の宝篋印塔のどちらも季隆のものと考えるには難しいという説があるが、いずれにしても、両墓塔は、愛甲季隆という弓の名手が愛甲の地を治め、鎌倉幕府で大きな役割を果たしたということを物語っている。









愛甲季隆館址
愛甲三郎館址
(宝積寺裏山)


宝積寺

厚木市愛甲西3−6−24

小田急「愛甲石田」駅からバス
「愛甲橋」下車徒歩5分





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