|
養珠院(ようじゅいん)は、お万の方とも呼ばれた徳川家康の側室。 源頼朝に仕えた武将三浦義村の娘矢部禅尼を先祖とする三浦宗家の末裔らしい。 父は安房正木氏の一族の正木頼忠(三浦氏庶流)。 母は妻は北条氏隆(北条氏堯とも)の娘。 家康から三浦姓を許され大坂の陣で活躍した三浦為春は兄。 幼い頃、母が蔭山氏広と再婚したことより、氏広に養われ、伊豆国で育った。 1593年(文禄2年)、三島本陣で家康に見初められ、伊豆国韮山の江川英長の養女として家康の側室となる。 1602年(慶長7年)、紀伊徳川家の祖・徳川頼宣、翌年には水戸徳川家の祖・徳川頼房を出産。 1653年(承応2年)死去。 |
養珠院は、養父の蔭山氏広が日蓮宗を信仰していた影響で日遠に帰依していた。 1608年(慶長13年)、江戸城で行われた浄土宗と日蓮宗との宗論(慶長宗論)で日蓮宗は敗者となるが、日蓮宗側の論者の日経を家康が襲わせたからなのだという。 これが原因で家康と対立した日遠は、磔の刑に処せられることになるが、それを救ったのが養珠院。 養珠院は、自分と日遠の死装束を縫い、家康を驚かせたのだという。 この勇気に感動した後陽成天皇は「南無妙法蓮華経」の題目を揮毫し、養珠院に与えたのだとか。 |
江川邸は、江戸時代に徳川幕府の代官だった江川氏の屋敷。 江川氏は源頼朝の挙兵にも参じたという清和源氏。 養珠院を養女とした二十八代英長は、小田原北条氏の麾下にあったが、徳川家康にも通じ、1590年(天正18年)の韮山城の開城に功あったのだという。 江川氏の菩提寺は日蓮宗の本立寺。 世界文化遺産の韮山反射炉は、江川英龍の建言によって造られた大砲鋳造のための施設。 |
善名寺は、伊豆の吉奈温泉にある日蓮宗の寺院。 吉奈温泉は子宝の湯として知られ、名主邸(現在の「東府や」)に滞在した養珠院は、善名寺で祈祷をし、徳川頼宣と徳川頼房を授かったのだという。 |
妙法華寺は、養珠院と英勝院(徳川頼房養母)・太田道灌の末孫などの尽力により再興された日蓮宗の寺院。 |
日蓮入滅の霊跡にある池上本門寺の梵鐘は、加藤清正の娘で徳川頼宣の正室となった瑤林院が寄進したもの。 池上本門寺の紀伊徳川家墓所には、養珠院・瑤林院の宝塔がある。 |
|