鎌倉手帳(寺社散策)

源氏ボタルよりともくん『鎌倉殿の13人』2022年大河ドラマ  戌神将二代執権 北条義時

池上本門寺
〜日蓮入滅の霊跡〜

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池上本門寺
大堂(祖師堂)

 1282年(弘安5年)、日蓮は病気療養のため身延山を下りて常陸に向かうが、その途中、武蔵国の池上宗仲邸で亡くなった。

 池上本門寺は、日蓮入滅の霊跡に建てられている。

 池上邸で最後の時を過ごした日蓮は、その背後の山上に堂宇を建立し、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて「長栄山本門寺」と命名した。

 それが本門寺の始まり。

 日蓮の死後、池上宗仲が法華経の文字数に合わせた約7万坪の土地を寄進し、弟子の日朗がその基礎が築き上げた。

 以後、「池上本門寺」と称され、鎌倉・室町・江戸の各時代を通じて栄えた。

 現在の大堂(祖師堂)は、1964年(昭和39年)の再建。


〜旧大堂〜

 1606年(慶長11年)に日蓮宗信者だった加藤清正が建立した大堂は、「池上の大堂」と称され、上野の寛永寺は中堂、芝の増上寺は小堂と呼んだのだという。

 しかし、1710年(宝永7年)に焼失。

 1723年(享保8年)、徳川八代将軍吉宗の用材寄進で縮小されて再建されたが、その大堂も1945年(昭和20年)の空襲で焼失している。






池上本門寺総門
総門

 総門は、1945年(昭和20年)の戦火を免れた貴重な建物。


池上本門寺扁額
扁額

 総門扁額の「本門寺」は、本阿弥光悦の筆(1627年(寛永4年))。


池上本門寺石段
石段

 総門の先にある長い石段は、日蓮宗信者だった加藤清正が寄進したものと伝えられている。

 段数は九十六段。

 法華経宝塔品(ほうとうぼん)の偈文九十六字にちなんでいるといわれ、別名を「此経難持坂」(しきょうなんじざか)という。


前田利家室宝塔
前田利家室の宝塔

 1622年(元和8年)に、前田利家の側室寿福院が建てた逆修塔。

 寿福院は、熱心な日蓮宗信者。

 実子の利常が加賀藩三代藩主になると、徳川家との関係を保つため江戸へ人質として下り、1631年(寛永8年)加賀藩江戸屋敷で亡くなった。

 池上本門寺で荼毘に付されている。


池上本門寺梵鐘
梵鐘

 1647年(正保4年)、加藤清正の娘で、紀州藩祖の徳川頼宣の正室となった瑤林院が寄進した梵鐘。







池上本門寺仁王門
仁王門
(三門)

 1608年(慶長13年)に徳川二代将軍秀忠によって建立されたが、1945年(昭和20年)4月15日の空襲で焼失。

 現在の門は、1977年(昭和52年)の再建。


池上本門寺五重塔
五重塔

 1608年(慶長13年)に徳川二代将軍秀忠によって建立された。

 関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔。


池上本門寺経蔵
経蔵

 経蔵の創建は不明だが、1710年(宝永7年)に焼失した後、1717年(享保2年)に再建されたものと伝えられている。


池上本門寺日朗堂
日朝堂

 1973年(昭和48年)の再建。



〜江戸城無血開城〜
勝海舟と西郷隆盛の会談

 1868年(慶応4年)から始まった戊辰戦争。

 征東軍の大総督参謀西郷隆盛は、池上本門寺で勝海舟と会談し、その結果、江戸城は無血開城され、江戸の街は戦火から救われたのだという。

 日蓮が休息し足を洗ったと伝えられる洗足池には、勝海舟夫妻の墓西郷隆盛の留魂祠がある。

西郷隆盛
リンクボタン西郷隆盛の留魂祠
(洗足池)
勝海舟夫妻の墓
リンクボタン勝海舟夫妻の墓
(洗足池)

江戸城
リンクボタン江戸城
西郷隆盛像
リンクボタン西郷隆盛像
(上野公園)



池上本門寺
池上本門寺

 「池上」という地名の由来には、洗足池の上手にあったからとする説や、池上宗仲の氏名から付けられたとする説がある。


東京都大田区池上1−1−1

東急池上線 池上駅下車徒歩10分



洗足池と池上本門寺
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