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| 本覚寺(日蓮宗)のある地は、源頼朝が幕府の鬼門除けのために夷神を祀ったという夷堂(天台宗系)があった所。 1274年(文永11年)、佐渡流罪から鎌倉に戻った日蓮は夷堂を拠点として布教を行ったと伝えられ、1436年(永享8年)、日出が日蓮の霊跡を寺とした。 正式名称は、妙厳山本覺寺。 本尊は釈迦三尊。 |
| 日出と足利持氏 |
| 開山の日出は、伊豆三島に本覚寺を建立し、伊豆一円を教化した名僧。 1436年(永享8年)、鎌倉での布教活動を開始するが、日出の勢力が大きくなることを危惧した宝戒寺の心海が鎌倉公方足利持氏に讒訴したことで捕らえられ、飢渇畠で処刑されそうになる。 しかし、持氏の枕元に夷神が現れ「日出を助けよ」と告げたため許されたのだとか。 無罪放免となった日出は、持氏の力を借りて夷堂の寺域に本覚寺を建立し、天台宗から日蓮宗に改宗したのだと伝えられている。 |
| 「東身延」「日朝さま」 二代日朝 |
| 日出は、伊豆国宇佐美(現在の伊東市)で鏡澄丸という聡明な少年に出会い、弟子にして鎌倉に連れ帰ったのだという。 その少年が日蓮の再来とまでいわれるようになる日朝。 日朝は、本覚寺二代住持となった後、日蓮宗の総本山・身延山(久遠寺)十一世法主として身延山を中興。 本覚寺は「東身延」と呼ばれているが、日朝が身延山に参詣することが困難な人のために、身延山に祀られていた日蓮の遺骨を分骨したことによる。 また、日朝は晩年に目を患うが、法華経への厚い信仰によって視力を取り戻したといわれ、眼病守護の神として信仰された。 そのため本覚寺も眼病平癒の寺「日朝さん」として親しまれている。 本覚寺に伝えられている「東身延」の額は、松平定信の筆によるもの。 |
| 鎌倉検定過去問〜東身延の額:五郎入道正宗と松平定信〜 |
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| 分骨堂には日蓮の遺骨が祀られている。 梵鐘には日出の伝説が・・・ |
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| 夷堂は明治の神仏分離令により蛭子神社に合祀されていたが、1981年(昭和56年)、本覚寺内に再建された。 にぎり福は夷神に由来する縁起物。 |
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![]() (名刀正宗) |
| 本覚寺では、毎年10月の第一日曜日に人形供養が行われている。 正宗の墓は、日蓮信者だった鍛冶職人・五郎入道正宗のもの。 |
(鎌倉十橋) |
| 本覚寺門前の夷堂橋は鎌倉十橋の一つ。 は、本覚寺の新年行事。 |
| 鎌倉市小町1−12−12 0467(22)0490 鎌倉駅東口より徒歩3分 |
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