鎌倉手帳(寺社散策)

實 相 寺
=工藤祐経の屋敷跡=

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實相寺


 實相寺(日蓮宗)は、工藤祐経の屋敷跡に建てられた寺。

 1193年(建久4年)、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りの折、曾我兄弟に討たれた工藤祐経の孫にあたるといわれる日昭が開いた。
 
 實相寺は、日蓮が佐渡に流されている間(龍ノ口法難)、一門の拠点として開かれた浜土法華堂をその始まりとしている。

 日蓮入滅後の1284年(弘安7年)に日昭が寺とし、法華寺と呼ばれていた。

 現在の本堂は明治初年の火災後の再建。


開山 日昭
開基 風間信昭
本尊 一塔両尊四士


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☆曾我兄弟の仇討ちの謎☆

 「曾我兄弟の仇討ち」の原因は、源頼朝が罪人として伊豆国に流されたいた時に遡る。

 1176年(安元2年)、源頼朝を慰めるための「狩猟」が催された。

 曾我兄弟の父河津祐泰は、その帰路、工藤祐経に殺害されている。

 理由は、曾我兄弟の祖父伊東祐親が工藤祐経の所領を横領したため。

 祐経は、その恨みから狩に出た祐親を狙ったが、祐親の子河津祐泰を殺してしまったのだと伝えられている。

 1180年(治承4年)、源頼朝が源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入ると、伊東祐親は没落し、一方の工藤祐経は頼朝に重用されている。

 もともと祐親の所領横領から始まった事件であることから、親を殺された恨みというより、自分たちが出世できない憤りからの事件とも考えられる。

 さらに、この事件は、曾我兄弟のみの起こしたものとは思えない節もある。

 祐経以外にも何人もの被害者があり、何らかの反乱とみる説もある。

 この事件により頼朝の弟範頼が反乱の首謀者として修禅寺に幽閉されたのち、梶原景時に攻められ自害させられている(参考:源範頼の謀叛 太寧寺と源範頼)。

 今日では、北条時政曾我兄弟を利用して頼朝を亡きものにしようとしたとする学説も有力となっている。


 工藤祐経に殺された河津祐泰は、力自慢として知られ、「狩猟」のときに催された相撲でも、名手といわれたも俣野景久を破っている。
 このときの技がのちに「河津掛」と呼ばれるようになった。

 伊東祐親は、源頼朝が四女との間に子をつくったことに腹を立て、その子を殺している。
 頼朝挙兵の時も平氏方についた。
 富士川の戦い後に捕らえられ、自害している。


工藤祐経の墓
リンクボタン工藤祐経の墓
(富士宮市)
曽我兄弟の墓
リンクボタン曽我兄弟の墓
(富士宮市)


頼朝の富士巻狩りと曽我兄弟の仇討ち

曽我兄弟の仇討ち


報復の連鎖〜曽我兄弟の仇討ち〜(okadoのブログ)



日昭の墓
日昭の墓

 日昭は、1253年(建長5年)に日蓮が法華宗(日蓮宗)を開いたときに弟子となり、日蓮の直弟子六人の筆頭で、日蓮亡きあとは一門の長老と仰がれた。







實相寺
實相寺

鎌倉市材木座4−3−13
0467(22)7997

鎌倉駅東口から徒歩20分
九品寺循環バス「五所神社」下車徒歩5分



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