中世歴史めぐり

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徳川家康



犬 山 城
〜信長・秀吉・家康〜


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犬山城


 犬山城(いぬやまじょう)は、1469年(文明元年)に岩倉織田氏の織田広近が築いた砦を始まりとし、1537年(天文6年)に弾正忠家の織田信康(信長の叔父)が改修して築いた城。

 1567年(永禄10年)、織田信長が攻め取り、乳兄弟の池田恒興が入城。

 1582年(天正10年)、本能寺で信長が討たれると(本能寺の変)、信長の次男信雄が相続した清州城の支城となり、信雄家臣の中川定成が城主となるが・・・

 1584年(天正12年)、羽柴秀吉陣営と信雄・徳川家康陣営とで戦ったの小牧・長久手の戦いの際に大垣城主の池田恒興が占拠し、秀吉が本陣を敷いた。

 家康小牧山城を占拠し、以後、両軍の睨み合いが長く続いたが、決定的勝敗はつかぬまま和睦し、犬山城は信雄に返還された。

 1590年(天正18年)の小田原攻めの後、秀吉の移封命令を断った信雄が改易されると豊臣の城となり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは西軍の拠点となるが、西軍が敗北すると徳川の城となる。

 1607年(慶長12年)、徳川義直(家康の九男)が尾張藩主になると、義直の補佐役の平岩親吉が入城。

 1617年(元和3年)には、尾張徳川家の重臣・成瀬正成が城主となり、以後、幕末まで成瀬家が城主を務めている。

 1871年(明治4年)に廃城。

 天守以外の建物が取り壊され愛知県の所有となっていたが、1891年(明治24年)の大地震で天守が半壊し、翌年、修理することを条件に成瀬家が譲り受けて修復。

 2004年(平成16年)まで個人所有として城だったが、現在は財団法人犬山城白帝文庫の所有となっている。

 現存する天守は、1617年(元和3年)に成瀬正成が改築したもので国宝。

 江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつ。



犬山城



小牧・長久手の戦い










犬山城
犬山城

犬山市犬山北古券65−2

名鉄「犬山駅」から徒歩約17分



犬山城
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