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徳川家康



名古屋城
〜徳川家康が築いた城〜


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名古屋城


 名古屋城は、戦国期に駿河国の今川氏親が築いた那古屋城が始まりで、城主には氏親の子氏豊が置かれた。

 1538年(天文7年)、織田信秀(信長の父)が奪取し那古野城と改名。

 織田信長はこの城で生まれたともいわれる。

 その後、信秀が古渡城に移ったため信長の居城となるが、1555年(弘治元年)信長が清州城に移ると廃城となった。

 清州城は長く尾張国の中心として機能し、徳川家康も大坂の豊臣に対抗するための拠点とし、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後は、四男忠吉、続いて九男義直が入城していたが、水害に弱い地形などの問題があったため、那古屋城跡に新たに名古屋城を築くことになる。

 1610年(慶長15年)閏2月、家康は豊臣恩顧の西国大名に命じて築城を開始し、1612年(慶長17年)には天守閣が完成。

 この年から1616年(元和2年)までに清州城から名古屋城への移転が行われた。

 この移転は「清洲越し」(きよすごし)と呼ばれ、清州城下の神社・仏閣、町屋などのほとんどが名古屋に移っている。








加藤清正像
加藤清正像

 加藤清正は尾張出身で豊臣秀吉に仕えて功績をあげ肥後熊本城主となった武将だが、関ヶ原の戦いでは徳川方に付いている。

 名古屋城の天守の石垣は清正が担当した。


清正石
清正石

 本丸搦手桝形の石垣にある巨大な石は「清正石」と呼ばれている。

 ここの工事担当は黒田長政だったが、巨石のため普請の名手加藤清正が積み上げたのだと伝えられている。


清正石曳きの像
清正石曳きの像





金鯱
金鯱

 鯱(しゃち)は空想上の生き物で、火除けの意味があるともいわれている。

 名古屋城の初代の鯱は、1612年(慶長17年)に造られ、慶長大判1940枚分の金が使われたのだという。

 その鯱は1945年(昭和20年)の空襲により焼失してしまうが、1959年(昭和34年)に二代目の鯱が置かれている。


金鯱 金鯱

 金鯱は、北側が雄・南側が雌で、雄の方が大きいらしい。









名古屋城
名古屋城

名古屋市中区本丸1−1

名城線「市役所」下車 7番出口から徒歩5分



名古屋城
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