中世歴史めぐり

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徳川家康



彦 根 城
〜井伊氏の拠点〜


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彦根城


 彦根城(ひこねじょう)は、1603年(慶長8年)、徳川四天王のひとり井伊直政の嫡男・直継(直勝)が近江国犬上郡の彦根山に築城したことに始まる。

 彦根山は金亀山とも呼ばれるため、「金亀城」(こんきじょう)とも呼ばれる。

 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後、井伊直政は石田三成の旧領・近江国佐和山を与えられ、佐和山城に入城。

 彦根に新たな城を築く計画をしたが、関ヶ原の戦いでの戦傷がもとで1602年(慶長7年)に死去したため、家督を継いだ直継が彦根城の築城に取り掛かったのだという。

 築城は徳川家康の天下普請により進められ、1606年(慶長11年)に天守が完成。

 その後は彦根藩のみの手で工事が進められ、1622年(元和8年)に全体の完成をみた。

 以後、彦根は1871年(明治4年)の廃藩置県まで井伊氏35万石の城下町として繁栄することとなる。

 1873年(明治6年)の廃城令により多くの城が廃城となり建物が破却されたが、彦根城の天守や櫓は大隈重信のはたらきかけで保存されることとなった。

 1952年(昭和27年)、天守と附櫓・多聞櫓の2棟が国宝に指定されている。



彦根城佐和口多聞櫓
佐和口多聞櫓

 佐和山城から移築されたともいわれる。

 彦根城の築城にあたっては、大津城佐和山城長浜城などの解体破却された城の築材が使用されたのだという。


彦根城馬屋
馬屋


彦根城天秤櫓と廊下橋
天秤櫓と廊下橋


彦根城天秤櫓と廊下橋
天秤櫓と廊下橋


彦根城太鼓門
太鼓門


彦根城天守
天守








彦根城玄宮園
玄宮園

 玄宮園は、1677年(延宝5年)に彦根藩四代藩主の井伊直興が造営したと伝えれれる庭園(国の名勝)。





井伊直弼
井伊直弼像

 井伊氏は大老を出した譜代筆頭。

 井伊直弼は彦根藩十五代藩主。

 幕末に大老となり、日本の開国・近代化を断行したが、反対勢力を粛清したことなどにより、1860年(安政7年)3月3日、江戸城の桜田門の近くで水戸藩浪士らに暗殺された(桜田門外の変)。


井伊直弼歌碑
井伊直弼歌碑

 「あふみの海 磯うつ浪の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな」

 琵琶湖の波が磯に打ち寄せるように幾度となく心を砕いてきたという直弼の心境をあらわした和歌。

 桜田門外の変で暗殺される2か月前の正月に詠んだもので、正装姿の画像ととともに菩提寺の清凉寺に納めたのだと伝えられている。


江戸城桜田門
リンクボタン江戸城桜田門


清凉寺
リンクボタン清凉寺
(佐和山城址)





井伊直政像
井伊直政像
(彦根駅前)

 井伊直政は徳川四天王の一人。

 少年期を鳳来寺で過ごした直政は、徳川家康に仕えると武田信玄の精鋭部隊「赤備え」を継承し、小牧・長久手の戦いでは「井伊の赤備え」の名をを天下に轟かせた。

 浜松秋葉神社は「井伊の赤備え」の発祥地とされている。


 リンクボタン井伊直政と鳳来寺



徳川四天王









彦根城
彦根城

滋賀県彦根市金亀町

JR琵琶湖線 「彦根駅」下車 徒歩15分



佐和山城跡・彦根城
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