中世歴史めぐり

徳川氏発祥の地 松平氏発祥の地
家康生誕地 東照宮

徳川家康



一言坂の戦い
信玄 対 家康

編集:yoritomo-japan.com








本多忠勝
リンクボタン本多忠勝像
(岡崎市)


 1572年(元亀3年)10月、甲斐の武田信玄徳川家康の領土・遠江に侵攻を開始。

 信玄は、徳川に従属していた犬居城の天野藤秀(景貫)を寝返えらせるなど、只来城をはじめとする徳川の諸城を悉く落とし、徳川の遠江支配の要ともいえる二俣城の攻略を開始。

 一方、家康は本多忠勝・内藤信成を偵察隊として先行させ、自らも浜松城を出陣するが・・・

 一言坂付近で武田軍と遭遇して敗北。

 この時、殿(しんがり)を務めたのが忠勝。

 忠勝は追撃してくる武田軍を食い止め、家康を無事に浜松城へ帰還させたのだという。

 信玄の近習・小杉左近は、

 「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の頭に本多平八」

 と詠んだのだとか・・・

 忠勝は、坂の下で待ち受ける小杉隊に対し、敵中突破で逃走を図り、左近はこれを見逃したとも伝えられる。



忠勝は徳川四天王のひとり
徳川四天王





二俣城跡
リンクボタン二俣城跡
(浜松市)

 一言坂で家康を敗走させた信玄は、二俣城を陥落させ浜松城へと進軍。



二俣城の戦い




二俣城の戦い









浜松城
リンクボタン浜松城

 武田軍の攻撃に備えて籠城策をとっていた家康だったが・・・

 信玄浜松城を素通り。

 誘い出される形で出撃した家康は・・・



三方ヶ原古戦場
リンクボタン三方ヶ原古戦場碑
(浜松市)

 三方ヶ原で大敗した。









武田信玄


徳川家康





中世歴史めぐり


徳川家康


徳川氏発祥の地 松平氏発祥の地
家康生誕地 東照宮