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1572年(元亀3年)10月、甲斐の武田信玄が徳川家康の領土・遠江に侵攻を開始。 信玄は、徳川に従属していた犬居城の天野藤秀(景貫)を寝返えらせるなど、只来城をはじめとする徳川の諸城を悉く落とし、徳川の遠江支配の要ともいえる二俣城の攻略を開始。 一方、家康は本多忠勝・内藤信成を偵察隊として先行させ、自らも浜松城を出陣するが・・・ 一言坂付近で武田軍と遭遇して敗北。 この時、殿(しんがり)を務めたのが忠勝。 忠勝は追撃してくる武田軍を食い止め、家康を無事に浜松城へ帰還させたのだという。 信玄の近習・小杉左近は、 「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の頭に本多平八」 と詠んだのだとか・・・ 忠勝は、坂の下で待ち受ける小杉隊に対し、敵中突破で逃走を図り、左近はこれを見逃したとも伝えられる。 |
一言坂で家康を敗走させた信玄は、二俣城を陥落させ浜松城へと進軍。 |
武田軍の攻撃に備えて籠城策をとっていた家康だったが・・・ 信玄は浜松城を素通り。 誘い出される形で出撃した家康は・・・ |
三方ヶ原で大敗した。 |
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