中世歴史めぐり

徳川氏発祥の地 松平氏発祥の地
家康生誕地 東照宮

徳川家康



武田信玄の訓言

編集:yoritomo-japan.com








武田信玄訓言


 およそ軍勝五分を以って上と為し、七分を中となし、十分を以って下と為す

 その故は、五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りをするが故

 たとえ戦に十分の勝を得るとも、驕りを生ずれば次には必ず敗るるものなり

 すべて戦に限らず世の中のことこの心がけ肝要なり


武田信玄訓言





武田信玄


 武田信玄は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏。

 武田氏の初代は、源頼朝木曽義仲とともに平家打倒の挙兵をした武田信義

 本拠は、甲府の躑躅ヶ崎館

 信濃、上野、駿河に侵攻して領国化し、1572年(元亀3年)には、遠江に侵攻して三方ヶ原の戦い徳川家康を破って三河に進軍するが・・・

 翌年、野田城を包囲中の陣中で病に倒れ、4月12日、甲府へ帰る途中の信濃国伊那谷(いなだに)で横死(53歳)。



信玄の菩提寺
恵林寺
リンクボタン恵林寺
(甲州市)



御旗楯無 御照覧あれ


風林火山


諏訪神号旗





信玄誕生の寺
積翠寺
リンクボタン積翠寺
(甲府市)
武田氏館跡
武田神社
リンクボタン武田神社
(甲府市)


武田信玄の墓
リンクボタン武田信玄の墓
(甲府市)
武田信玄の墓
リンクボタン武田信玄の墓
(甲州市 恵林寺)









武田信玄





中世歴史めぐり


徳川家康


徳川氏発祥の地 松平氏発祥の地
家康生誕地 東照宮