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二条殿は、南北朝期の公卿・二条良基の邸宅。 戦国期に織田信長が京都における宿所として改築した後、正親町天皇の皇太子・誠仁親王に譲渡され二条新御所と呼ばれていた。 1582年(天正10年)6月2日の本能寺の変では、ここで信長の嫡男信忠が自刃。 事件当時、信忠は妙覚寺に滞在していたが・・・ 明智光秀が本能寺を襲ったことを知ると本能寺へ駆け付けようとしたが、信長の自刃を知って二条新御所に籠城したのだという。 この戦いで二条殿は焼失した。 |
本能寺の変が起こった当時の本能寺は、現在地(寺町御池)ではなく、四条堀川の辺りにあったのだという。 跡地には本能寺跡の碑が建てられている。 |
本能寺の変で焼失した本能寺は、1589年(天正17年)に豊臣秀吉の命により寺町御池に移転。 |
本能寺の信長廟は、三男信孝の命によって建てられた。 |
大雲院は、信忠の菩提を弔うため二条殿(二条御所)の跡地に建てられた。 現在は祇園に移転している。 |
現在の二条城は徳川家康の築城だが、その前にも二条城と呼ばれたものが複数あって、信長の宿所だったという二条殿もその一つ。 |
甲州征伐後、信長は甲斐善光寺の善光寺如来を美濃国の岐阜城下に移した。 善光寺如来は、武田信玄が信濃善光寺から移した絶対秘仏の尊像。 信長の横死は善光寺如来の祟りと噂されたらしい。 |
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京都市中京区両替町通御池上る東側 (旧龍池小学校前) |
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