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方広寺の梵鐘は、豊臣秀頼が1614年(慶長19年)に鋳造させたもの。 東福寺や南禅寺の長老で豊臣秀吉や秀頼の学僧だった文英清韓(ぶんえいせいかん)が銘文を起草した。 徳川家康の了承の下で、前年に完成した大仏の開眼供養と大仏殿の堂供養を行なう予定だったが・・・ 片桐且元が供養に日時について家康と相談するため駿府城に出向くと、家康は大仏の開眼供養と大仏殿の堂供養を別にすることを提案。 さらに後日、梵鐘の銘文に問題があるとして、大仏の開眼供養と大仏殿の堂供養の延期が命じられたのだという。 |
家康が問題としたのは、銘文中の「国家安康」(こっかあんこう)と「君臣豊楽」(くんしんほうらく)の文字。 家康は・・・ 「国家安康」には「家康の名を2つに分断」し、 「君臣豊楽」には「豊臣を君主として楽しむ」 という下心が隠されていて、徳川家に対する呪いが込められているという指摘をしたのだという。 家康は、金地院の以心崇伝と画策して問題化させたとも言われ、この事を口実に大坂の陣を起こしたのだとされている。 |
銘文を起草した文英清韓は、方広寺の梵鐘が鋳造された年に東福寺の塔頭天得院の住持となったが、「方広寺鐘銘事件」により寺は取り壊されたのだという。 |
方広寺は、豊臣秀吉が東大寺の大仏に代わる大仏を安置するために創建した寺 |
京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527−2 京阪電車「七条駅」下車 徒歩約8分 |
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