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竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北部にある無人島。 琵琶湖では沖島に次ぐ大きさ。 古くから「神の棲む島」として信仰されてきた。 |
伝説によると・・・ 伊吹山の神(多々美比古命(たたみひこのみこと)と浅井岳の神(浅井比咩命(あさいひめのみこと))は、互いに山の高さを競っていたが・・・ ある夜、浅井岳が急に高くなり、怒った多々美比古命が浅井比咩命の首を取り落としたところ、それが琵琶湖に落ちて竹生島になったとのだとか。 |
伊吹山は滋賀県の最高峰。 伊吹山と競ったという浅井岳(小谷山)は、竹生島を信仰した戦国大名・浅井氏が城を築いた山。 |
竹生島神社と宝厳寺 |
古来、竹生島は神仏習合の聖地。 島内の竹生島神社(都久夫須麻神社)と宝厳寺は、寺社の区別なく一体化して信仰されてきた宗教施設で、弁才天と観音の島として栄えてきた。 しかし、明治の神仏分離により、弁才天を祀る宝厳寺の本堂は都久夫須麻神社に改められ、宝厳寺は廃寺の危機に追い込まれたが、全国の信者の強い要望により廃寺は免れたのだという。 |
竹生島神社(都久夫須麻神社)は、湖水を支配する水の神・浅井比咩命を祀る社で、459年(雄略天皇3年)創建と伝えられる。 |
宝厳寺は、724年(神亀元年)に聖武天皇の勅命により行基が開いたと伝えられる寺院。 本尊の大弁才天は、宮島(厳島)の大願寺、江の島の与願寺(現江島神社)とともに日本三大弁才天の一つに数えられる。 |
各地に勧請された弁才天 |
竹生島弁財天は、平清盛が信仰した厳島弁財天や源頼朝が信仰した江の島弁財天とともに日本三大弁天の一つ。 厳島弁財天や江の島弁財天は、弁才天信仰発祥の竹生島の影響を受けて勧請されたといわれている。 毎年6月10日に竹生島神社で斎行される「三社弁財天祭」は、厳島神社と江島神社の分霊を迎えて執り行われる。 |
江の島は、竹生島と同じ神仏習合の聖地だった島。 源頼朝は奥州平泉の藤原秀衡調伏のため、文覚に命じて江の島に弁財天を勧請している。 江島神社の前身となる金亀山与願寺は、頼朝が弁財天を勧請したときを創建とする説がある。 |
琵琶島神社は、北条政子が竹生島の弁財天を勧請して創建したのだと伝えられている。 |
六孫王神社の弁財天社は、源満仲誕生の際に安産を祈願して竹生島弁財天を勧請したのだという。 |
摠見寺は、織田信長が安土城内に建てた寺。 本堂には竹生島から勧請した弁財天が祀られていたのだとか。 |
増上寺の塔頭宝珠院の本尊は、園城寺(三井寺)を開いた智証大師が竹生島で彫ったという弁財天。 源頼朝や徳川家康が信仰した。 |
上野恩賜公園の不忍池にある不忍池辯天堂は、寛永寺を開いた天海が、不忍池の島を琵琶湖の竹生島に見立てて建立した堂。 |
浅井長政の娘・お江は、徳川秀忠と結婚した後、鶴岡八幡宮の弁財天を信仰していたのだという。 その弁財天は竹生島弁財天と同じ宇賀弁財天だったかもしれない。 |
平経正の竹生島詣 |
1183年(寿永2年)、木曽義仲追討の副将軍として北陸道へ下った平経正は、その途中で竹生島へ渡り戦勝を祈願。 夕刻、琵琶を奏でると白竜が現われたのだとか。 |
羽柴秀吉の長浜城 |
長浜城は、1573年(天正元年)、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、織田信長から拝領した浅井長政の旧領に築いた城。 秀吉は、長政が竹生島神社や宝厳寺の復旧のため寄進した資材や小谷城で使われていた資材を流用して築城したのだという。 |
織田信長の竹生島参詣 |
1581年(天正9年)4月10日、竹生島を詣でた織田信長は、安土城内の摠見寺に弁財天を勧請したのだとか。 その際に起こったのが、安土城の侍女たちを成敗した竹生島事件。 |
青葉の笛 |
彦根城博物館所蔵の龍笛(青葉の笛)と狛笛は、竹生島から彦根城の十二代当主・井伊直亮に献上されたもの。 源義経が所持していたものと伝えられ、織田信長も見た笛。 竹生島には、静御前の所持と伝えられた小鼓の胴もあったのだとか。 |
琵琶湖汽船で、長浜港から35分、今津港から25分 |
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