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琵琶湖の竹生島にある宝厳寺(ほうごんじ)は、奈良時代に行基によって開かれたと伝えられている寺院。 伝説によると・・・ 724年(神亀元年)、聖武天皇の夢枕に天照皇大神が現われ、弁才天の聖地である琵琶湖の島に寺院を建立するよう告げたのだという。 聖武天皇の勅命を受けた行基は、琵琶湖を支配する水の神・浅井姫命(あざいひめのみこと)を祭神とする都久夫須麻神社が鎮座する竹生島に弁才天像を祀ったのだとか。 これが宝厳寺の始まりといわれるが、行基が祀ったのは四天王像とする説もある。 竹生島に寺院が建立されたことで、神仏習合が進められ、都久夫須麻神社と宝厳寺は一体化した宗教施設として栄えたが、明治の神仏分離により寺と神社は分離された。 本尊で行基開眼と伝わる(宝厳寺では大弁才天と呼ぶ)は、宮島(厳島)の大願寺、江の島の与願寺(現江島神社)とともに日本三大弁才天の一つ。 観音堂の本尊の千手観音(千手千眼観世音菩薩)は西国三十三所の第三十番札所。 大弁才天と千手観音は60年に一度開帳される秘仏(次回開帳は2037年)。 |
豊臣秀頼が復興させた伽藍 |
宝厳寺は創建以来、大火により焼失と再建が繰り返されてきた。 現在の唐門・観音堂・舟廊下(渡廊)・竹生島神社本殿は、1602年(慶長7年)に豊臣秀頼が片桐且元に命じて復興させたもの。 |
唐門は、豊臣秀頼が豊国廟の唐門(極楽門)を移築したもの(国宝)。 |
観音堂は、唐門と接続する西国三十三所観音霊場第三十番札所。 |
舟廊下は、観音堂から竹生島神社(都久夫須麻神社)に続く渡廊(重要文化財)。 |
竹生島神社(都久夫須麻神社)の本殿は、明治の神仏分離までは、大弁才天を祀る宝厳寺の本堂だった。 現在の宝厳寺の本堂は、1942年(昭和17年)に再建された建物。 |
復元された三重塔 |
三重塔は、2000年(平成12年)に再建された建物。 |
日本三大弁才天 |
竹生島は「弁才天信仰発祥の地」。 弁才天は仏教の守護神だが、神仏習合により神道の市杵島比売命と同一神として信仰されてきた。 仏教としての三大弁才天は、宝厳寺・宮島(厳島)の大願寺、江の島の与願寺だが、神道としての三大弁才天は竹生島神社・厳島神社・江島神社となる。 毎年、6月10日、竹生島神社では厳島神社と江島神社の分霊を迎えて「三社弁才天祭」が執り行われている。 |
※ | 厳島弁才天と江の島弁才天は、竹生島の影響を受けて勧請されたものといわれている。 |
滋賀県長浜市早崎町1664 |
琵琶湖汽船で、長浜港から35分、今津港から25分 |
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