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平経正の竹生島詣


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 1183年(寿永2年)、木曽義仲追討の副将軍として北陸道へ下った平経正は、その途中で竹生島へ渡り、戦勝を祈願して琵琶を奏でたのだとか。



平経正
月百姿 竹生島月 経正
(月岡芳年 作)


 『平家物語』によると・・・

 木曽義仲討伐のため平維盛・通盛率いる平家軍が出陣するが、副将軍の忠度・経正・清房・知教らは近江国塩津や海津に留まっていたのだという。

 4月18日の朝、湖のほとりで沖に浮かぶ島を見た経正は、一緒にいた藤原有教から「その島が名に聞く竹生島」であることを知ると、小舟を用意させて家来6人を連れて島に渡った。

 上陸した経正は弁財天に戦勝を祈願。

 静かに経を読んでいると日も暮れ、居待ちの月(十八日の月)が出てきた。

 すると、経正が琵琶の名手であると知っていた住僧が、経正に琵琶を差し出す。

 経正が琵琶を奏でると弁財天に通じたのか、袖の上に白竜が現れた。

 弁財天に祈りが届いたと感じた経正は、琵琶を置いて、その思いを歌にする。

 ちはやぶる
 神に祈りの
 叶へばや
 著くも色の
 現れにけり

 勝利を確信した経正は、竹生島をあとにした・・・





深緑 竹生島の沈影
深緑 竹生島の沈影
(琵琶湖八景)

 緑豊かな竹生島の風景は「琵琶湖八景」の一つ。



 竹生島


 経正が竹生島に渡った旧暦4月は初夏。

 『平家物語』によると経正が見た竹生島は・・・

 緑色に見える梢には春の趣きが残り、谷に鳴くウグイスの声は衰えているが初夏の訪れを告げ、松には藤の花が咲きかかる、とても美しい景色だったらしい。


 竹生島





平経正
(たいらのつねまさ)


 平経正は、平清盛の異母弟・経盛の長男。

 幼少期を仁和寺で過ごし、仁和寺五世の覚性から琵琶の銘器「青山」を下賜されるほどの琵琶の名手だったのだという。

 和歌にも優れ『経正朝臣集』がある。

 竹生島で戦勝を祈願したという経正だったが・・・

 倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲に大敗。

 その後、平家一門は都落ち。

 1184年(寿永3年)の一ノ谷の戦いで、河越重房の手勢に討ち取られた。

 源義経の奇襲で全軍が総崩れとなる中、弟の敦盛を探しているときに敵に囲まれて自刃したのだとも。

 経正が心配していた敦盛は熊谷直実に討たれ、もう一人の弟経俊も生田の森で討死している。



琵琶塚
リンクボタン琵琶塚
(神戸市)

 伯父平清盛の供養塚(清盛塚)の隣の琵琶塚は、平経正の塚として伝えられてきた。





竹生島神社
リンクボタン竹生島神社
宝厳寺
リンクボタン宝厳寺


 竹生島竹生島神社(都久夫須麻神社)と宝厳寺は、明治の神仏分離までは寺社の区別なく一体化して信仰されてきた。

 竹生島神社の本殿は、宝厳寺の本堂として使用されてきた建物。










竹生島
リンクボタン竹生島

琵琶湖汽船で、長浜港から35分、今津港から25分



竹生島
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