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平忠度の伊勢平氏の棟梁平忠盛の六男。 平清盛の異母弟。 一ノ谷の戦いで、岡部忠澄と戦って討死した。 戦後、忠澄は忠度の菩提を弔うため供養塔を建立したのだと伝えられている。 |
唱歌『青葉の笛』〜平敦盛と平忠度の最期〜 |
清心寺は、1549年(天文18年)、深谷上杉氏の宿老岡谷清英が萬誉玄仙を招いて開いた寺。 正式名称は「石流山八幡院清心寺」。 「石流」は「石清水」のこと。 本尊は阿弥陀如来像。 |
岡部忠澄は、武蔵国榛沢郡岡部を領有した武将。 平忠度を弔うため、領地のうちでも一番景色のよい場所に供養塔を建てたのだと伝えられている。 |
深谷城は、1456年(康正2年)、深谷上杉家の上杉房顕が築いた平城。 深谷上杉家は、庁鼻和城を築いた上杉憲英を祖とし、曾孫の房憲が深谷城を築いたことで深谷上杉を名乗るようになる。 |
埼玉県深谷市萱場441 |
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