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竹生島は、戦国大名・浅井氏ゆかりの島。 島内の竹生島神社には浅井氏の氏神・浅井比売命が祀られ、宝厳寺には浅井長政の父久松や祖母寿松が奉納した弁財天が祀られている。 浅井氏の最後の当主となった長政は、1573年(天正元年)に織田信長に攻められ、小谷城で自刃するが、1558年(永禄元年)に焼失した竹生島神社や宝厳寺の復旧資材を寄進し続けていたのだという。 長政とお市の方(織田信長の妹)との間に生まれた浅井三姉妹(茶々・お初・お江)も竹生島を信仰し、特にお江は徳川秀忠と結婚してからも江戸城から仏具などを奉納していたのだといわれている。 宝厳寺に残された「蒔絵三重塔」は、お江が産んだ徳川家光寄進と伝えられている。 |
竹生島復興と豊臣秀頼 |
浅井氏滅亡後、信長から浅井の旧領長浜を拝領した羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、長政が竹生島復興のために用意した資材を使って長浜城を築いたのだという。 その後、秀吉は復興に尽力したというが、実際に復興を助けたのは妻の寧々だったのだとか。 そして、竹生島の伽藍を復興させたのは、浅井三姉妹の長女・茶々(淀殿)が産んだ豊臣秀頼。 現在の唐門・観音堂・舟廊下・竹生島神社本殿は、秀頼が秀吉ゆかりの建物を移築したもの。 秀吉の遺命があったともいわれ、移築には徳川家康や寧々が関わったのかもしれない。 |
唐門は、豊国廟の唐門(極楽門)を移築したもの(国宝)。 |
観音堂は、唐門と接続する建物で豊国廟から移築された。 |
舟廊下は、秀吉のご座船として作られた日本丸の船櫓を利用したもの。 |
竹生島神社(都久夫須麻神社)の本殿は、伏見城の日暮御殿を移築したもの。 |
お江と鶴岡八幡宮 |
お江は、鶴岡八幡宮の弁財天を信仰し、三代将軍となる家光を授かったと伝えられている。 |
鶴岡八幡宮の大鳥居(一の鳥居)は、弁財天のお告げを受けたお江の願いにより建て替えられたのだという。 |
鶴岡八幡宮にも竹生島と同じ宇賀弁財天が祀られていた? |
琵琶湖汽船で、長浜港から35分、今津港から25分 |
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