鎌倉手帳(寺社散策)

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旗上弁財天社
〜鶴岡八幡宮〜

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旗上弁財天社


 旗上弁財天社は鶴岡八幡宮の境内社。

 源氏池に浮かぶ島に建てられている。

 源頼朝旗挙げに際しては、家運長久の守護神として弁財天が現れ、霊験があったと伝えられ、旗上弁財天社は、北条政子が建立したものとも伝えられている。

 弁財天は仏教の守護神であることから、明治の廃仏毀釈で破壊されたが、1956年(昭和31年)に再興され、現在の社殿は、鶴岡八幡宮創建800年にあたる1980年(昭和55年)に、文政年間の古図をもとに復元されたもの。

 参道や島に並ぶ旗は、奉納された源氏の二引の白旗。

 鎌倉・江ノ島七福神の一つ。



祭神

多紀理毘売命
(たぎりびめのみこと)
市寸嶋比売命
(いちきしまひめのみこと)
多岐都比売命
(たぎつひめのみこと)



旗上弁財天社









〜若宮大路の造営と弁財天〜

 旗上弁財天社に祀られていた最初の弁財天は、1182年(寿永元年)、源頼朝若宮大路を造営する際、琵琶小路にあった祠に安置されていた弁財天を移したものともいわれている。

 由比ヶ浜まで一直線に延びる若宮大路が造営される前は、一の鳥居二の鳥居との間が外側に彎曲していて、それが琵琶の胴の曲線に似ていたことから「琵琶小路」と呼ばれていたという。


琵琶橋
リンクボタン琵琶橋





〜木造弁財天坐像〜
(裸弁財天)

 現在鎌倉国宝館に寄託されている木造弁財天坐像は、神仏分離まで旗上弁財天社に安置されていた像ではないかといわれている。

 腰に短い下着を着けるだけの裸形彫刻の弁財天像で、実物の衣を身につけている(国重文)。


鶴岡八幡宮・弁財天
リンクボタン裸弁財天





〜鶴岡八幡宮の弁財天と徳川二代将軍秀忠の正室「お江」〜

 徳川二代将軍秀忠の妻崇源院(お江)は、鶴岡八幡宮の弁財天を信仰し、三代将軍となる家光を授かったと伝えられている。



鶴岡八幡宮一の鳥居
リンクボタン一の鳥居

 鶴岡八幡宮一の鳥居は、崇源院の夢の中に現れた弁財天のお告げによって建て替えられたものといわれ、四代将軍家綱の時代に寄進された。





〜崇源院〜

 崇源院は、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ、姉は豊臣秀吉の側室となった淀の方

 娘には豊臣秀頼に嫁いだ千姫がいる。

 千姫の養女は東慶寺二十世の天秀尼



(参考)
増上寺徳川将軍家霊廟
リンクボタン徳川秀忠と崇源院の宝塔
(東京芝:増上寺)

 建長寺仏殿、唐門(勅使門)、西来庵の中門は、芝増上寺の崇源院の御霊屋にあったものが移築されている。





〜パワースポット〜

政子石
リンクボタン政子石

 旗上弁財天社の社殿裏に置かれている政子石は、夫婦円満と子宝の祈願石。



旗上弁財天社の白鳩
リンクボタン源氏の白鳩

 鳩は八幡神の使い。

 何故か、鶴岡八幡宮の白鳩は旗上弁財天社に集まる。

 源氏の白鳩は、壇ノ浦の戦いで平家一門が入水したことを知らせたのだとか・・・





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(京都で始まった七福神信仰)
七福神信仰の歴史





〜旗上弁財天と花〜

ツツジ

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歴史めぐり源頼朝




鶴岡八幡宮
リンクボタン鶴岡八幡宮

 鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。

 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 


鎌倉市雪ノ下2−1−31

0467(22)0315

鎌倉駅東口より徒歩10分



鶴岡八幡宮周辺・西御門・二階堂
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