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西来庵(せいらいあん)は、建長寺の開山蘭渓道隆(大覚禅師)の塔所。 道隆の示寂(1278年(弘安元年))後間もなくの創建とされる。 昭堂(国重文)・開山堂・食堂(本堂)・坐禅堂からなる。 開山堂には木造蘭渓道隆像が安置され、背後には蘭渓道隆の墓(大覚禅師塔)と円覚寺開山無学祖元の墓がある。 ※円覚寺第四世桃渓徳悟(とうけいとくご)の代より、円覚寺の僧が道隆の年忌を行っていたといわれている。 |
「嵩山」の額が掲げられた山門は薬医門。 この門の奥が建長寺の最高聖地「西来庵」。 |
中門は、1647年(正保4年)に仏殿、唐門とともに芝増上寺から移築された建物。 徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の霊廟の唐門だったもので県の有形文化財。 |
崇源院は、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ、姉は豊臣秀吉の側室となった淀の方。 娘には豊臣秀頼に嫁いだ千姫がいる。 千姫の養女は東慶寺二十世の天秀尼。 |
蘭渓道隆は、宋の禅僧で1246年(寛元4年)33歳のときに来日。 京都の泉涌寺で数年過ごした後、鎌倉に下向し、五代執権北条時頼の帰依を受け、常楽寺で布教活動を行った。 1253年(建長5年)、建長寺の開山に迎えられる。 寿福寺・禅興寺(参考:明月院)・伊豆の修禅寺・京都の建仁寺・甲斐の東光寺にも住持。 1278年(弘安元年)7月24日、建長寺で示寂。 没後、後宇多天皇より「大覚禅師」の号を賜った。 頂相「蘭渓道隆像」、指導書「法語規則」は国宝。 |
建長寺の国宝〜法語規則と蘭渓道隆像〜(okadoのブログ) |
大覚禅師塔は安山岩製の無縫塔(卵塔)で、和様化された無縫塔の最古品といわれる(国重文)。 「木造蘭渓道隆坐像」は、鎌倉時代の作で像高62.1p。道隆の没年前後の作で、慶派仏師の手によるものと考えられている(国重文)。 |
京都建仁寺の塔頭西来院は、蘭渓道隆が開いた寺。 |
禅宗では、高僧の塔があるところを塔頭という。 建長寺の塔頭は、その繁栄時には49院を数えたが、現在は12の塔頭が残っている。 |
建長寺は、五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。 臨済宗建長寺派大本山。 鎌倉五山の第一位。 |
鎌倉市山ノ内8 0467(22)0981 JR北鎌倉駅から徒歩15分 |
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