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鶴岡八幡宮の源平池は、1182年(寿永元年)、源頼朝の命により、弦巻田と呼ばれていた水田を池にしたのだと伝えられている。 参道の太鼓橋(赤橋)もこのとき架けられた。 太鼓橋(赤橋)の右側が「源氏池」、左側が「平家池」。 ※弦巻田とは、苗を渦巻きのように植える斎田のこと。 |
源平池の造営は、若宮大路の造営と一緒に行われたものと考えられ、『吾妻鏡』には、鶴岡八幡宮寺の仮の別当を務めていた伊豆山権現の専光房良暹(りょうせん)、大庭景義らが造営の奉行を務めたと記されている。 専光房良暹は箱根権現の行実の弟子で、石橋山の戦いで頼朝を助けた梶原景時の兄という説が・・・ 大庭景義は石橋山の戦いで源頼朝を敗走させた大庭景親の兄。 大庭氏は、兄弟で敵味方に分かれて戦った(参考:相模の武将「大庭氏」)。 |
昔は、源氏池には「白蓮」が、平家池には「紅蓮」がそれぞれ咲いていたというが、現在は紅白咲き乱れている。 白蓮は源氏の白旗、紅蓮は平家の赤旗にちなんで植えられていたのだという。 |
源氏池には3つの島が平家池には4つの島があるが、これは源氏の発展を願う「産」と平家の滅亡を願う「死」をかけたものであったらしい。 当初は、両方の池に四つずつの池があったようだが、北条政子の命によって、源氏池の島を一つ壊したのだと伝えられている。 |
源氏池の畔に造られた回遊式庭園。 鶴岡八幡宮の創建800年を記念して開園した。 「冬(正月)ぼたん」で知られている。 サクラやハス、紅葉の季節にも素晴らしい景色を見せてくれる。 |
源氏池の島に建てられている社。 社殿前には白フジの棚がある。 ハスの季節には多くの写真家が集うところ。 |
源氏池の桜 |
フジ棚 |
彼岸花 |
平家池の紅葉 |
鶴岡八幡宮の造営 鶴岡八幡宮の放生池・・・源氏池 |
平家池の畔には、1951年(昭和26年)、坂倉準三が設計した神奈川県立近代美術館が開館。 1999年(平成11年)には「日本の近代建築20選」に選ばれたが、2016年(平成28年)閉館。 2019年(令和元年)からは「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として使用されている。 |
鶴岡八幡宮の左義長神事は、1月15日、源氏池の畔で行われる。 |
源氏池の畔には、国歌「君が代」に詠まれている「さざれ石」が置かれ、さざれ石の背後には、白旗神社の石鳥居の笠木が置かれている。 さらに、大きな笠木が置かれているが、これは大きさからいって、二の鳥居か三の鳥居のものと考えられる。 |
源平池に架けられた太鼓橋は、昔は朱塗りの橋だったことから「赤橋」と呼ばれていた。 鎌倉の古絵図でも「赤橋」と記されている。 六代執権北条長時をはじめとする赤橋流の苗字は、この橋の名からきている(参考:洲崎古戦場)。 太鼓橋の両側にも橋が架けられているが、当初は左側の橋のみで、「平家を踏みつぶす」という意味で架けられたらしい。 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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