鎌倉手帳(寺社散策)

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白 旗 神 社
〜鶴岡八幡宮〜

編集:yoritomo-japan.com








白旗神社


 白旗神社は、1200年(正治2年)、朝廷から「白旗大明神」の神号を賜り、源頼朝を祭神として北条政子が創建したのだと伝えられている(一説には源頼家の創建とも。)。

 もとは上宮の西側にあったが、1885年(明治18年)、源実朝を祀る柳営社と合祀され現在地に遷された。

 したがって、現在の祭神は、源頼朝源実朝

 例祭は、5月28日。



明治の神仏分離前までは、この場所には薬師堂があった。

柳営社は丸山稲荷社の社殿として移築されている。



白旗神社
武衛殿

 白旗神社は「武衛殿」と称され、掲げられている額は、幕末の島津藩の実質上の最高権力者島津久光の筆と伝えられている。



〜源頼朝の最初の官職と武衛〜

 「武衛」とは兵衛府の唐名で、「兵衛府」は天皇やその家族の近侍・護衛のための官庁。

 兵衛府には、左兵衛府と右兵衛府があった。

 1159年(平治元年)12月の平治の乱で初陣を果たした源頼朝は、一時「従五位下・右兵衛権佐」(うひょうえごんのすけ)に任じられた。

 平清盛に敗れたことにより、わずか15日で解官されるが、『吾妻鏡』では、頼朝が1185年(建久元年)に平宗盛を捕えた勲功によって従二位に叙されるまで、頼朝のことを「武衛」と呼んでいる。

 これは、頼朝の最初の官職が「右兵衛権佐」だったため。

 その後は「二品」と記され、1190年(建久元年)11月9日に権大納言に任じられてからは「大納言家」、11月24日に右近衛大将に任じられてからは「右大将家」、12月3日に大納言と右大将を辞してからは「前右大将家」、12月10日からは「幕下」、1192年(建久3年)7月26日に征夷大将軍の辞令を受けてからは「将軍家」と記されている。

 参考までに、流人時代の頼朝は、「前右兵衛権佐」であったことから、「佐殿」(すけどの)と呼ばれていた。  


 兵衛佐や兵衛権佐は公卿昇進コースの一つで、平清盛は左兵衛佐に任じられ出世コースを歩んだ。

 頼朝の伝説が残された佐助稲荷神社の「佐助」という名には、「佐殿を助けた」という意味があるという。



白旗神社
黒漆塗極彩色の社

 向拝の四本の角柱は、川口の鋳物師によって製作されたもの。

 埼玉県の川口市は、荒川を挟んで向こう側が東京都という立地で、かつては「鋳物の街」として栄えた。

 映画「キューポラのある街」でも取り上げられた歴史のある街。









〜白旗神社の石鳥居〜

白旗神社鳥居
石鳥居


 源氏池の畔に置かれた「さざれ石」の背後に置かれているのは、白旗神社の石鳥居の笠木。

 さらに、大きな笠木も置かれているが、「大きさ」からして、関東大震災で崩壊した二の鳥居三の鳥居のものと考えられる。


鳥居の笠木
石鳥居の笠木





〜神仏混淆の名残・・・〜

 白旗神社の手水舎の水盤には、蓮弁の彫刻がある。

 明治の神仏分離によって、鶴岡八幡宮内にある仏教関連施設は全て廃されたが、白旗神社の「手水舎」には、神仏混淆の「鶴岡八幡宮寺」であった頃の名残を見ることができる。


白旗神社手水
手水舎の水盤

 水盤は花崗岩で、江戸時代まで鶴岡八幡宮にあった輪蔵(経蔵)に使われていた礎石と考えられている。


神仏混淆の宗教施設





菅裸馬句碑
菅裸馬句碑

 白旗神社前にある句碑。

 「歌あ波れその人阿は連実朝忌」









〜源頼朝像と豊臣秀吉〜

 白旗神社には、源頼朝坐像が安置されていたといわれ、1590年(天正18年)7月、小田原城を開城させた豊臣秀吉が奥州へ向かう途中で鶴岡八幡宮を詣でて、頼朝像を撫でながら天下を語ったという逸話が残されている。

 現在、東京国立博物館に収蔵されている頼朝像が、この像であるといわれている。


源頼朝
伝源頼朝坐像


 この翌年、秀吉は徳川家康に命じて鶴岡八幡宮の修繕にとりかかっている。

 鶴岡文庫で常設展示されている鶴岡八幡宮の模型は、秀吉が作成させた「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」(修理の設計図)をもとに作られたもの。



源頼朝に天下を語った豊臣秀吉


源頼朝像と善光寺


小田原征伐


「顔がでかくて美しく背が低くて雅」





白旗神社例祭
リンクボタン例祭
(5月28日)


鶴岡八幡宮:実朝祭
リンクボタン実朝祭
(ぼんぼり祭)
文墨祭:白旗神社
リンクボタン文墨祭
(10月28日)





西御門白旗神社
リンクボタン西御門の白旗神社
(法華堂跡)

 白旗神社の名は、源氏の白旗にちなむもので、全国に70社ほどあるといわれている。

 明治の神仏分離によって創建された西御門法華堂跡白旗神社の祭神は源頼朝

 全国的にも源頼朝を祭神とする社が多い中で、藤沢市の白旗神社は、源頼朝の弟源義経を祀っている。

 また、三浦市初声の白旗神社は、源頼朝に仕えた御家人和田義盛を祀っている。


藤沢白旗神社
リンクボタン藤沢の白旗神社
和田の里白旗神社
リンクボタン三浦の白旗神社








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鶴岡八幡宮
リンクボタン鶴岡八幡宮

 鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。

 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 


鎌倉市雪ノ下2−1−31

0467(22)0315

鎌倉駅東口より徒歩10分



鶴岡八幡宮周辺・西御門・二階堂
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