鎌倉手帳(寺社散策)

源氏ボタルよりともくん伊豆箱根三社詣〜伊豆山神社・箱根神社・三嶋大社〜  源氏ボタルよりともくん『鎌倉殿の13人』2022年大河ドラマ

源頼朝を助けた箱根権現の行実と永実

編集:yoritomo-japan.com







 『吾妻鏡』によると・・・

 1180年(治承4年)8月23日午前4時頃、源頼朝は、北条時政北条宗時北条義時安達盛長・工藤茂光・土肥実平ら三百騎で相模国の石橋山に布陣。

 夕刻になって大庭景親伊東祐親らの数千騎に攻められ、佐奈田義忠陶山家康が討死。

 翌24日未明には大勢が決し、大敗した頼朝は、土肥の椙山へ逃げ込んだ。

 石橋山の戦い後、北条時政北条宗時北条義時は別行動をとっていたが、晩になって頼朝の椙山の陣に到着(宗時は早川で討死)。


 そこへ、箱根権現の永実(別当行実は弟)が食料を持ってやってきた。

 永実に頼朝の所在を尋ねられた時政は、

 「頼朝様は、大庭景親の囲みを逃れることができなかった」

 と答えるが、永実に、

 「貴方は私の短慮を試されているようだ。

 頼朝様が亡くなれば貴方は生きていないはず」

 と問い返えされ、時政は笑いながら永実を頼朝のもとに案内。

 永実が持参した食料を献上すると、飢え切っていた頼朝や兵たちは値千金の価値があると喜んだ。

 土肥実平

 「世の中が落ち着いたならば、永実を箱根権現の別当にしてあげてください」

 と申し上げると、頼朝はこれを承諾したのだという。

 その後、頼朝は永実の案内で箱根へ向かい、箱根権現別当の行実邸は、参詣の民衆が集まるので、永実邸に入った。


しとどの窟
リンクボタンしとどの窟
(湯河原町)
箱根神社
リンクボタン箱根神社
(箱根町)

 石橋山で大敗した源頼朝は、しとどの窟に身を潜めたのだという。

 箱根神社は、古来「箱根権現」と称され、伊豆に流された頼朝が崇敬した。






〜箱根権現別当の行実〜

 頼朝のもとへ食料を届けた永実の兄は箱根権現別当の行実。

 行実の父良尋は、頼朝の祖父為義や父義朝と親交があった。

 京都にいた行実が父の跡を継いで箱根権現の別当に就任する際、為義は「東国の家人の召集権」を、義朝は「駿河、伊豆の家人の召集権」を行実に与えていた。

 そのため、行実は、頼朝が伊豆国流罪の間、祈祷をして仕え、 石橋山での敗北を聞いて、弟の永実を頼朝のもとへ行かせたのだという。



〜箱根を下った頼朝〜

 8月25日、前日に永実の屋敷に落ち着いたばかりの頼朝だったが・・・

 行実と永実の弟の智藏房良暹が頼朝を襲撃しようと企てている事が知らされる。

 良暹は、頼朝が伊豆国で討ち取った山木兼隆の祈祷師だったのだとか。

 行実は、良暹の力を恐れることはないが、景親が聞きつけて攻め寄せてくると面倒なので、早く逃げるよう進言。

 山の案内人を呼んだ頼朝は、土肥実平・永実らとともに箱根道を通って土肥郷へ下った。

 そして、8月28日、真鶴から安房へ船出している。


源頼朝船出の浜
リンクボタン源頼朝船出の浜
(真鶴町)
源頼朝上陸地
リンクボタン源頼朝上陸地
(鋸南町)

 真鶴から船出した頼朝が上陸したのは安房国の平北郡猟島



源頼朝挙兵

山木館襲撃〜源頼朝の挙兵〜

石橋山の戦い



2022年のNHK大河ドラマは・・・
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箱根神社
リンクボタン箱根神社

 1180年(治承4年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、箱根権現(箱根神社)の別当行実を頼って逃れた。

 のちに頼朝走湯権現(伊豆山神社)・箱根権現の二所と三嶋社を参詣する「二所詣」を始めている。


神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1

伊豆箱根バス「元箱根」下車
箱根登山バス「元箱根港」下車
徒歩10分

〜箱根のパワーで運気アップ〜
箱根三社参り


〜箱根神社・頼朝MAP〜
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リンクボタン源頼朝の配流地
(伊豆韮山)

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