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弁財天は、多くの場合、池に島を浮かべて祀られている。 これは、弁財天信仰発祥の地である琵琶湖の竹生島を模しているからで、鶴岡八幡宮の旗上弁財天社も源氏池に浮かぶ島にある。 そして、弁財天を祀っている寺社の多くは、天台宗系の寺院や天台宗と関係の深かった神社なのだという。 現在、竹生島の宝厳寺は真言宗豊山派の寺院だが、平安時代は比叡山延暦寺の支配下にあって、天台宗の僧の修行の場になったのだという。 鶴岡八幡宮も天台宗と関係が深い社。 源頼朝は、初代別当に園城寺(天台寺門宗)の円暁を任命。 以後、長い間、園城寺関係者が別当に登用されていた。 |
旗上弁財天社が創建された当初に祀られていた弁財天は、琵琶小路の祠に安置されていた弁財天だったのだと伝えられている。 弁財天の姿は、腕が2本で楽器を奏でる八臂像と、腕が8本で弓・矢・刀・矛・斧・長杵・鉄輪・羂索などを持った八臂像がある。 竹生島の弁財天は八臂弁財天。 ただの八臂弁財天ではなく、老人の頭を付けた白蛇(宇賀神)が乗せられているもの。 宇賀神は宇迦御魂命(稲荷神)と同一視される神で、竹生島弁財天は八臂弁財天と宇賀神が合体した宇賀弁財天。 旗上弁財天社は、源頼朝の旗挙げに際して、家運長久の守護神として弁財天が現れ、霊験があったことから創建されたのだと伝えられる。 とすると・・・ 祀られていたのは宇賀弁財天かもしれない。 源頼朝は江の島に弁財天を勧請しているが、江の島の八臂弁財天も宇賀弁財天。 |
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竹生島は、江の島と同じく神仏習合の聖地だった島で、島内の竹生島神社(都久夫須麻神社)と宝厳寺は一体化した宗教施設として信仰されてきた。 平清盛が信仰した厳島弁財天や源頼朝が信仰した江の島弁財天は、竹生島の影響を受けて勧請されたものともいわれる。 竹生島神社では、毎年6月10日に厳島神社と江島神社の分霊を迎えて「三社弁才天祭」が執り行われている。 |
お江も信仰していた 鶴岡八幡宮の弁財天 |
徳川二代将軍秀忠の妻崇源院(お江)は、鶴岡八幡宮の弁財天を信仰し、三代将軍となる家光を授かったと伝えられている。 鶴岡八幡宮の大鳥居(一の鳥居)は、弁財天のお告げを受けた崇源院の願いにより建て替えられたのだという。 崇源院は、竹生島を信仰していた浅井長政とお市の方との間に生まれた浅井三姉妹の三女。 鶴岡八幡宮には、竹生島弁財天と同じ宇賀弁財天が祀られていたから信仰したのかも。 |
頼朝が信仰した増上寺の弁財天 |
増上寺の塔頭宝珠院の本尊は、源頼朝や徳川家康が信仰した八臂弁財天。 園城寺を開いた円仁(智証大師)が竹生島で彫ったのだという。 |
銭洗弁財天の宇賀神 |
銭洗弁財天宇賀福神社は、源頼朝の夢枕に宇賀神が現われたことで創建されたと伝えられる社。 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2-1-31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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