![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
|
| 芸術・文化に関する記述について,最も適当なものを 1 ~ 4 から選びなさい。 |
| (56) | 今春11年ぶりに続編「続・続・最後から二番目の恋」が放映された,鎌倉の古民家を舞台にしたテレビドラマ「最後から二番目の恋」で,主人公の吉野千明と長倉和平が利用する江ノ島電鉄の駅はどこか。 |
| 1 鎌倉高校前駅 2 長谷駅 3 稲村ヶ崎駅 4 極楽寺駅 |
| (57) | 今年で50作品目となる鎌倉納涼うちわの絵柄を,最も多く描き下ろした日本画家はだれか。 |
| 1 横山隆一 2 中島千波 3 横山泰三 4 小泉淳作 |
| (58) | 鎌倉三名鐘のうち,円覚寺の梵鐘(洪鐘)を寄進したのはだれか。 |
| 1 北条時宗 2 北条時頼 3 北条貞時 4 北条高時 |
| 鎌倉三名鐘は、建長寺の梵鐘・円覚寺の梵鐘(洪鐘)・常楽寺の梵鐘。 建長寺の梵鐘は、1255年(建長7年)に物部重光が鋳造しました。 五代執権北条時頼が大旦那となり、開山の蘭渓道隆が銘文を撰しています。 円覚寺の梵鐘(洪鐘)は、1301年(正安3年)に物部国光が鋳造しました。 大旦那は九代執権北条貞時で、銘文は西澗子曇(せいかんすどん)が撰しています。 常楽寺の梵鐘は一番古く、1248年(宝治2年)に北条時頼が祖父泰時の供養のために鋳造したもの。 |
| (59) | 鎌倉時代末期から南北朝時代が描かれる漫画『逃げ上手の若君』の『若君』とはだれのことか。 |
| 1 足利義詮 2 足利直冬 3 北条茂時 4 北条時行 |
| 鎌倉幕府は、1333年(元弘3年)、後醍醐天皇の綸旨を受けて上野国で挙兵した新田義貞に滅ぼされました。 後醍醐天皇による親政(建武の新政)が開始されますが・・・ 1335年(建武2年)、足利尊氏が離脱。 このきっかけを作ったのが北条時行が起こした中先代の乱でした。 翌年、尊氏は光明天皇を即位させて「建武式目」を制定し、室町幕府を成立させます。 これにより建武の新政は崩壊し、後醍醐天皇は花山院に幽閉されてしまいます。 その後、後醍醐天皇は花山院を脱出して吉野へ行幸。 自ら主宰する朝廷を開いたことにより、京都朝廷(北朝)と吉野朝廷(南朝)が並立する南北朝時代が始まります。 |
| (60) | 鎌倉市名誉市民の称号が贈呈されている人物の組み合わせとして正しいのはどれか。 |
| 1 小倉遊亀・横山隆一 2 高田博厚・平山郁夫 3 吉田秀和・清水崑 4 高浜虚子・永井路子 |
| 鎌倉市名誉市民は・・・ 川端康成 ・小倉遊亀・横山隆一・加瀬俊一・永井路子・ 吉田秀和・蓮田修吾郎・平山郁夫 の8名。 |
| (61) | 鎌倉市の景観重要建築物等の一つである檑亭の山門はどこから移築したものか。 |
| 1 高松寺 2 青蓮寺 3 永福寺 4 大慶寺 |
| (62) | 鎌倉の伝統芸能について,次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
| 1 | 鎌倉木遣唄は,鎌倉鳶職組合木遣唄保存会によって伝承され,毎年1月4日,鶴岡八幡宮境内で行われる手斧始式で御神木が二の鳥居から舞殿まで運ばれる時に歌われている。 |
| 2 | 鎌倉神楽は湯立神楽,湯花神楽ともいわれ,葛原岡神社例大祭で奉納される。 |
| 3 | 鎌倉天王唄は,源頼朝が鶴岡八幡宮を造営・再建する時,海上輸送された多くの木材を材木座海岸から境内まで運ぶ際に歌われていたと伝えられている。 |
| 4 | 飴屋踊りは,行商などの人たちが鎌倉と三浦を行き来するうち自然に伝えられたようで,その名は,飴を売りながらその踊りを踊ったことに由来するとされる。 |
| 鎌倉神楽が奉納されるのは御霊神社例大祭。 |
| 芸術・文化について,次の説明文の〔 〕に最も適当なものを 1 ~ 4 から選びなさい。 |
| 日蓮は真言宗や禅宗,律宗,浄土宗などの邪宗を廃し,法華経に帰依しなければ,「飢饉, 兵革,疫病の三災と,疾病,他国侵害,謀反,星宿変怪,日月薄蝕,暴風雨,旱魃の七難 におかされる」と説いて,『立正安国論』を〔 (63) 〕に上書した。これに対して,念仏門徒は日蓮の〔 (64) 〕の草庵を焼き討ちにしたが,日蓮は〔 (65) 〕に導かれて裏山の洞窟に逃れ,九死に一生を得たという。〔 (66) 〕にはこの時のものといわれる「南面窟」が今も残されている。 |
| (63) |
| 1 北条泰時 2 北条時頼 3 北条時宗 4 北条長時 |
| (64) |
| 1 比企ヶ谷 2 龍ノ口 3 松葉ヶ谷 4 田辺が池 |
| (65) |
| 1 白鷺 2 白鹿 3 白兎 4 白猿 |
| (66) |
| 1 安国論寺 2 長勝寺 3 常栄寺 4 光則寺 |
| 1254年(建長6年)、鎌倉に入った日蓮は、松葉ヶ谷に草庵を結び、小町大路を中心に布教活動を行いました。 1260年(文応元年)には『立正安国論』を書き上げ北条時頼に提出。 しかし、草庵が焼き討ちされ、一時、下総国へ避難しました(松葉ヶ谷法難)。 安國論寺には、『立正安国論』を書いたという御法窟や、松葉ヶ谷法難の際に避難した南面窟があります。 日蓮を南面窟に導いたのは、かつて修行した比叡山の山王権現(日吉大社)の白猿だったのだとか・・・ |
| 鎌倉地方の仏像に特有の技法である「〔 (67) 〕」が注目されている。〔 (68) 〕の来迎寺 「〔 (69) 〕観音菩薩像」や浄光明寺の「阿弥陀三尊坐像(木造阿弥陀如来及両脇侍坐像)」, 〔 (70) 〕の「聖観音菩薩立像」などにその技法が見られる。 |
| (67) |
| 1 截金 2 玉眼 3 土紋 4 漆箔 |
| (68) |
| 1 西御門 2 小町 3 材木座 4 大町 |
| (69) |
| 1 千手 2 如意輪 3 十一面 4 馬頭 |
| (70) |
| 1 圓應寺 2 瑞泉寺 3 長壽寺 4 東慶寺 |
| 源頼朝が創った武家の都「鎌倉」の仏像には、早くから運慶の新様式が取り入れられ、さらに、宋文化も取り入れた独特の様式があみ出されました。 「土紋装飾」もその一つ。 西御門来迎寺の如意輪観音半跏像 覚園寺の阿弥陀如坐来像 宝戒寺の歓喜天像 浄光明寺の阿弥陀如坐来像 浄智寺の韋駄天立像 東慶寺の聖観音立像 円覚寺塔頭伝宗庵の地蔵菩薩坐像 が土紋が施された仏像です。 |
|
|


| ★鎌倉検定の受検お申し込みは 鎌倉商工会議所ホームページへ |
|
|