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| 次の各文の〔 @ 〕,〔 A 〕に最も適当な語句を書きなさい。ただし,〔 @ 〕,〔 A 〕 両方できて正解とする。(各 2 点) |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (50) | 古都保存法の制定が実現するきっかけになったのは,〔 @ 〕と呼ばれる鶴岡八幡宮の後背部の緑地開発をめぐっての開発側と反対派の攻防だった。運動には,大佛次郎ら著名人をはじめ多くの市民が加わった。1964年(昭和 9)に開設された〔 A 〕は, 〔 @ 〕の舞台となった緑地を買い取った。 |
| 鶴岡八幡宮裏の緑地は「御谷」(おやつ)と呼ばれていました。 かつて鶴岡八幡宮寺供僧の住坊「二十五坊」があった所。 1964年(昭和39年)、御谷の宅地造成開発計画に反対する運動が起こり、作家の大佛次郎はその先頭に立って奔走しました。 反対運動で結成された鎌倉風致保存会が御谷山林(1.5ha)の買収に成功(日本初のナショナルトラスト運動)。 この運動がきっかけとなり、鎌倉・京都・奈良の三古都の環境を保全するための「古都保存法」が成立しています。 |
| @ 御谷騒動 A 鎌倉風致保存会 |

| 旧大佛次郎茶亭は、大佛次郎の書斎として使用された建物。 鎌倉風致保存会は、この建物を保存建造物に指定し、その保存を助成してきました。 現在は、一般社団法人大佛次郎文学保存会が継承しています。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (51) | 瓜ヶ谷やぐら群は,葛原岡神社の北側の谷にある5穴からなる鎌倉時代のやぐら群で,「〔 @ 〕やぐら」ともいわれる。この一帯は,国指定史跡で鎌倉七口の一つである〔 A 〕とされた。 |
| 瓜ヶ谷やぐら群の地蔵菩薩像が安置されているやぐらは、特に「地蔵やぐら」と呼ばれています。 瓜ヶ谷やぐら群は、国指定史跡「仮粧坂」の範囲に含まれています。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (52) | 滑川は,多くの支流を持ち場所によって呼び名が変わる。上流から太刀洗川,〔 @ 〕川,滑川,坐禅川,夷堂川,炭(墨)売川,〔 A 〕川と名を変えて海にそそぐ。 |
| 滑川(なめりかわ)は、川床をなめるように流れていることから付けられた名といわれています。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (53) | 〔 @ 〕寺は,市内有数のウメの名所で,2月下旬ころ,本堂前で市天然記念物のオウバイが,楚々とした淡黄色の花をつける。その花名は「日本の植物分類学の父」と呼ばれる〔 A 〕博士が発見して命名した。 |
| 本堂前に黄梅が植えられているのは瑞泉寺。 黄梅は江戸時代からの古木で、牧野富太郎博士に名付けられたそうです。 |
| @ 瑞泉 A 牧野富太郎 |

| 黄梅は2月中旬から下旬が見ごろ。 |

| 〔 @ 〕は数字,〔 A 〕は漢字で書きなさい。 |
| (54) | 建長寺では,創建〔 @ 〕年を記念した境内整備の一環で,仏殿前庭や西来庵参道に多数のボタンが新たに植えられ,新しい花名所になっている。また,円覚寺〔 A 〕院は日ごろ非公開の塔頭だが,境内に多くこの花が植えられ,盛りに特別公開されている。 |
| 建長寺のボタンは創建750年を記念して植えられました。 円覚寺塔頭松嶺院は「山野草の咲く寺」として知られています。 |
| 建長寺のボタンは、4月下旬から5月上旬が見ごろ。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (55) | 「ツツジ寺」の別名がある〔 @ 〕院では花期になると境内一面に約五十株のオオムラサキが咲き誇る。笛田公園に近い〔 A 〕寺でも本堂背後の斜面一面に,色とりどりのキリシマツツジやオオムラサキが咲く。 |
| 〔 @ 〕は漢字,〔 A 〕はカタカナで書きなさい。 |
| (56) | かつては非公開寺院だったが近年境内の花が美しいシーズンの週末だけ開門するようになった〔 @ 〕寺の,山際の竹林脇に鎌倉一のシャガの群生が見られる。また,鎌倉の「〔 A 〕寺」として有名な妙法寺も、石段の両脇を埋めるこの花に古都ならではの風情がある。 |
| 山際の竹林脇でシャガの群生が見られるのは長壽寺。 妙法寺は「苔の寺」として知られています。 |
| 問題では、長壽寺の拝観は週末限定とされていますが、季節によっては週末以外も拝観できます。 妙法寺の苔の石段にもシャガが咲きます。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (57) | 極楽寺は,鎌倉時代後期には,鎌倉の海の玄関口である〔 @ 〕を管理し,関料の徴収などを行っていた。一方で,開山の忍性は,境内に施薬院,悲田院,施益院,福田院などを設け,不幸な人を救済する福祉事業に取り組み,人々から〔 A 〕如来と崇められた。 |
| 鎌倉時代に築港された和賀江嶋は、極楽寺の管理下に置かれ、関料徴収の権利も極楽寺に与えられていました。 開山の忍性は、飢饉のときには粥を施し、桑ヶ谷には療養所(桑ヶ谷療養所)を建てるなど、多くの者を救い「医王如来」と崇められました。 |
| 〔 @ 〕は漢字,〔 A 〕はカタカナで書きなさい。 |
| (58) | 1946年(昭和21),新しい時代の教育を目指して材木座の古刹〔 @ 〕寺に開設された「鎌倉〔 A 〕」には,高見順や吉野秀雄ら鎌倉在住の作家,文化人が教授陣に名を連ねた。 |
| 光明寺の境内には、自由大学「鎌倉アカデミア」が開校されました。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (59) | 来迎寺(西御門)の如意輪観音菩薩像は,鎌倉地方特有の仏像装飾の一技法である 〔 @ 〕を施した像で,もとは源頼朝の持仏堂だった〔 A 〕にあったものを移したといわれる。 |
| 来迎寺の如意輪観音像には「土紋」が施されています。 もとは源頼朝の法華堂(現在の白旗神社)に安置されていた像。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (60) | 江戸時代,中世の伝統技術を継承するという鎌倉仏師の〔 @ 〕家・三橋家をはじめ,〔 A 〕寺大工の河内家などは,鎌倉やその周辺で多くの仏像や寺社建築の修理・ 修復に携わった。 |
| 源頼朝が鎌倉に入り、武家の都を創る上げると、運慶の父康慶からはじまる慶派の仏師たちが奈良から東国に入り活躍するようになり、扇ヶ谷の壽福寺門前には、多くの仏所が建ち並んでいたのだといいます。 鎌倉彫は鎌倉仏師によって受け継がれてきた伝統工芸。 鶴岡八幡宮の三の鳥居横の鎌倉彫「博古堂」は、鎌倉仏師の後藤家が開いた店。 大河内家は江戸時代後期の建長寺再建に活躍した大工集団。 山門は河内長兵衛、法堂は河内久右衛門が棟梁を務めて再建されました。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (61) | 1685年(貞享2)に,徳川光圀が『〔 @ 〕』を編纂して鎌倉の地誌を公刊したころから,次第に鎌倉を訪れる参詣客や見物客が増加した。江戸時代後期になると,〔 A 〕が鎌倉を紹介する絵図「鎌倉・江ノ嶋・大山新板往来双六」を描いた。 |
| 徳川光圀が編纂させたのは『新編鎌倉志』。 光圀は自らも鎌倉を訪れ、水戸御殿と呼ばれた尼寺・英勝寺を拠点にして名所・旧蹟を巡遊しています。 「鎌倉・江ノ嶋・大山新板往来双六」を描いたのは前北斎為一(葛飾北斎)。 |
| @ 新編鎌倉志 A 前北斎為一(葛飾北斎) |
| 〔 @ 〕は4字,〔 A 〕は漢字で書きなさい。 |
| (62) | 日蓮がある夜,何千人という念仏門徒が,日蓮の住む〔 @ 〕の草庵を焼き討ちにした。この時,どこからともなく〔 A 〕が現れて,夜道を裏山の洞窟へと導いてくれたおかげで,日蓮は九死に一生を得たという。 |
| 1260年(文応元年)、日蓮は松葉ヶ谷の草庵で書き上げた『立正安国論』を北条時頼に提出したことで、草庵を焼き討ちされてしまいますが(松葉ヶ谷法難)・・・ 日蓮は、どこからともなく現れた白猿に導かれ、「お猿畠」に避難することができたのだとか(法性寺)。 襲撃を企てた者の中には、北条重時、六代執権の北条長時、極楽寺の忍性、光明寺の然阿良忠、建長寺の蘭渓道隆もいたらしい。 |
| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (63) | 毎年2月8日に〔 @ 〕で行われる針供養は使い古した針にねぎらいと感謝を込め行う神事で,まず拝殿で神事が執り行われた後,拝殿前の三方の上に置かれた〔 A 〕 に針を刺して供養する。市内や近隣の裁縫関係者などで賑わう。 |
| 針供養は、使い古した針を豆腐に刺して、針への供養を営む祭事。 京都の法輪寺や東京の浅草寺の針供養が知られていますが、鎌倉では荏柄天神社で行われています。 |
| ※ | @は荏柄山天満宮でもOK。 |
| 〔 @ 〕は漢字,〔 A 〕は4字で書きなさい。 |
| (64) | 毎年9月12日に大町の〔 @ 〕寺で行われる龍口法難会は〔 A 〕供養ともいわれ,日蓮が龍ノ口刑場に引かれていく時,桟敷尼がゴマの〔 A 〕を差し上げたことから, この日に日蓮像に〔 A 〕を供えて参詣の人々にも供する。 |
| 常栄寺は、1271年(文永8年)の龍ノ口法難の際に、日蓮に「ぼたもち」を捧げたという桟敷の尼が住んでいた地に建てられた寺。 そのため「ぼたもち寺」と呼ばれています。 9月12日の龍口法難会では、ぼたもち供養が行われます。 |


| 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 |
| (65) | 鎌倉において歳の市は,かつては鶴岡八幡宮,〔 @ 〕寺,大船の〔 A 〕神社,腰越方面などで開かれていたが,現在は〔 @ 〕寺の歳の市だけとなり,達磨,熊手など の縁起物をはじめ,神棚や暦といった正月用品などの屋台が立ち並ぶ。 |
| 12月18日は年内最後の観音さまの縁日(納めの観音)。 長谷寺の門前では「歳の市」が催され、飲食のほか、だるまや熊手などの縁起物を扱う露店が軒を連ねます。 かつては大船の塩釜神社でも行われていました。 |



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