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七福神信仰は室町時代に京都で発祥し、次第に各地へ広まったのだといいます。 「都七福神めぐり」は、京都の7箇所の寺社を巡ります(1979年(昭和54年)に構成されたコース)。 特に新春に巡拝すると「七難即滅 七福即生」極まりなしといわれ、功徳が大きいとされています。 1月1日から31日までは、七福神めぐりの定期観光バスが運行されています。 毎月7日は七福神の縁日。 |
各社寺には御軸・大護符(色紙)・御宝印帖が用意されています。 この色紙は東寺で購入したもので、七福神は仏絵師の藤野正観先生が描いたもの。 御宝印は毎日頂けます(午前9時〜午後4時)。 |
ゑびす神 〜商売繁盛〜 |
唯一の日本人。 漁業や商売繁盛の神。 |
ゑびす神社は、栄西が建仁寺の鎮守として建てた神社。 宋からの帰りに遭難しそうになった栄西は、ゑびす神の加護によって難を逃れたのだと伝えられています。 正月の「十日戎」(えべっさん)には、商売繁盛願う大勢の参拝者で賑わいます。 |
大 黒 天 〜開運招福〜 |
大国主命と習合して民間信仰に浸透した仏教の守護神。 |
「松ヶ崎大黒天」の名で親しまれている妙円寺は、五山の送り火「妙法」で知られる松ヶ崎山の麓にある寺。 大黒天は、伝教大師最澄の作といわれています。 60日ごとの甲子(きのえね)の日には、大黒天像が開帳されます。 |
毘沙門天 〜福徳自在〜 |
インドの財産を守る神。 |
東寺 |
毘沙門堂 |
東寺は王城鎮護の官寺として創建。 国宝の「兜跋毘沙門天像」は、都の守護神として羅城門の上層に安置されたもので、菅原道真、小野道風、白河法皇の中宮賢子なども信仰していたと伝えられています。 学業成就・安産の神。 毘沙門堂は「兜跋毘沙門天像」を安置するために建てられた堂。 |
弁 財 天 〜七福即生〜 |
インドでは吉祥天とともに最も尊崇された女神。 |
六波羅弁財天 |
銭洗い弁財天 |
六波羅蜜寺は、空也によって開かれた西光寺を前身としています。 平安時代後期には、平清盛をはじめとする平家一門の屋敷が建ち並んでいました。 鎌倉時代には鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれていた所です。 六波羅弁財天は、崇徳天皇の夢告により、禅海が造ったというもの。 本堂右手には銭洗い弁財天も。 |
福禄寿神 〜延寿福楽〜 |
中国では南極星の化身とされる神。 |
福禄寿殿 |
お姿おみくじ |
赤山禅院は、慈覚大師円仁の遺言により開かれた比叡山延暦寺の塔頭。 福禄寿殿の福禄寿神は、南極星の精「泰山府君」の別の姿。 幸福、高禄、長寿の三徳を与えられ、商売繁盛・延寿健康・除災の神として信仰を集めています。 |
寿 老 神 〜不老長寿〜 |
中国宋代の人。長寿を授ける神。 |
行願寺は、行円が創建した寺院で、行円が皮聖(かわひじり)と呼ばれていたことから「革堂」(こうどう)と呼ばれています。 本尊の千手観音は西国三十三箇所の十九番。 長寿秘守と長寿お宝杖の授与があります。 |
布 袋 尊 〜諸縁吉祥〜 |
中国の禅僧布袋和尚を神格化したもの。 |
萬福寺 |
布袋尊 |
萬福寺は黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山。 開山の隠元隆g(いんげんりゅうき)は中国・明の禅僧で、日本における「煎茶道の祖」ともいわれ、普茶料理、隠元豆、西瓜、蓮根、孟宗竹(タケノコ)・木魚なども隠元が日本にもらたしたものといいます。 天王殿に祀られている布袋尊像は茫道生作の傑作。 |
七福神信仰の歴史はよくわかっていないようですが、最澄が比叡山に大黒天を祀り、その信仰が民間にも広まると恵比寿信仰と結びついて「二福神」として祀られるようになったのだといいます。 その後、毘沙門天信仰、弁財天信仰とも結びつき、室町時代に入って禅宗が盛んになると、「竹林の七賢人」に倣って七福神信仰が成立したのだとか・・・。 |
都七福神めぐりの定期観光バスは1月1日〜31日の間毎日運行。 大人(13歳以上)12,500円 子供(6〜12歳) 9,300円 (昼食・バス料金・拝観料・日本語ガイド・タクシー代込み) 09:40 JR京都駅烏丸口出発 詳しくは→このページで |
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