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京都:行願寺
〜革堂〜

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京都:行願寺(革堂)


 行願寺(ぎょうがんじ)は、1004年(寛弘元年)、行円が一条小川に創建したのを始まりとする天台宗の寺院。

 一条天皇の勅願寺。

 別称の「革堂」(こうどう)は、行円が皮聖(かわひじり)と呼ばれていたことによるのだという。

 1012年(寛弘9年)、藤原道長の三男・顕信が行円のもとで剃髪出家している。

 1590年(天正18年)、豊臣秀吉の寺地替えにより寺町荒神口(京都御苑東)に移転、1708年(宝永5年)の大火後で現在地に移った。

 本尊は行円作と伝わる千手観音(西国三十三箇所の十九番)。

 「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」

 御詠歌は、西国三十三所中興の祖といわれる花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだという。



京都:行願寺寿老神堂
寿老神堂

寿老神堂に祀られている寿老神は、リンクボタン都七福神の一つ。


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京都:行願寺七福神
七福神



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〜皮聖・行円〜

 出家前は狩猟を業としていたという行円。

 ある時、雌の鹿を射止めたところ、その傷口から子鹿が生まれてくるのを見て仏門に入ったと伝えられている。

 行円は、常にその鹿の皮を身につけていたことから、皮聖(かわひじり)とも呼ばれ、そのため行願寺も「革堂」(こうどう)と呼ばれるようになったのだという。



〜幽霊絵馬〜

 宝物館に展示されている若い女性の幽霊が描かれている絵馬。

 革堂の近くの質屋に奉公していた子守娘のお文は、浄土宗の御詠歌を子守唄代わりに口ずさんでいたという。

 しかし主人は法華信者。

 子どもに浄土宗の御詠歌を教えたとして、お文を折檻して死なせてしまった。

 主人はお文の遺体を土蔵に隠していたが、お文の両親が革堂の千手観音に願をかけるとお文の幽霊が現れ、事の真相を語ったのだという。

 幽霊絵馬の若い女性の幽霊は、お文の両親が描いたものだという。










京都:行願寺(革堂)
行願寺

京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17

京都市営地下鉄「丸太町」より徒歩7分
京阪鴨東線「神宮丸太町」より徒歩6分



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