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| 鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)、源頼義が由比郷鶴岡に石清水八幡宮を勧請したことに始まる(由比若宮)。 |
| 1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をして鎌倉に入った源頼朝は、先祖の頼義が勧請した由比若宮を小林郷北山に遷座。 頼朝の街づくりは、鶴岡八幡宮を中心に行われた。 |
| 1063年(康平6年)8月 |
| 源頼義が石清水八幡宮を鎌倉由比郷鶴岡に勧請(由比若宮) |
(鶴岡若宮) |
| 1081年(永保元年)2月 |
| 源義家が由比若宮の社殿を修復 |
| 1180年(治承4年)10月 |
| 源頼朝が由比郷の由比若宮を小林郷に遷座 |

| 1181年(養和元年)5月 |
| 本格的社殿の造営 |
| 1182年(寿永元年)3月 |
| 参道若宮大路(段葛)の造営開始 4月には苑池源平池の造営開始 |
![]() (若宮大路) |
| 1182年(寿永元年)9月 |
| 園城寺の円暁が初代別当に就任 |

| 1186年(文治2年)4月 |
| 静御前が若宮回廊で舞う |
| 1186年(文治2年)8月 |
| 源頼朝が西行と出会う |
| 1187年(文治3年)8月 |
| 源頼朝が放生会を行い、流鏑馬が奉納される |
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| ※ | 鶴岡八幡宮の例大祭は、この年の放生会を起源としている |
| 1189年(文治5年)3月 |
| 源頼朝が亡き母由良御前のために五重塔を建て始める |
| 1191年(建久2年)3月 |
| 小町大路で出火 社殿焼失 |
| 1191年(建久2年)11月 |
| 鶴岡八幡宮再建 改めて石清水八幡宮を勧請 |
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| ※ | この年の再建で、現在のような上宮と下宮の上下両宮の姿となった |
| 1192年(建久3年)7月 |
| 鶴岡八幡宮西廊で源頼朝の征夷大将軍の辞令の伝達 |
| 1208年(承元2年)12月 |
| 神宮寺が創建される 本尊は薬師如来像 |

| 1217年(建保5年)6月 |
| 公暁(源頼家の子)が四代別当に就任 |
| 1219年(建保7年)1月 |
| 公暁が源実朝を暗殺 |
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| 1241年(仁治2年)2月 |
| 大鳥居内の拝殿が津波により流失 |
| 1266年(文永3年)9月 |
| 裸形弁財天が舞楽院に奉納される |

| 1280年(弘安3年)11月 |
| 火災により上宮、末社などが焼失 翌年12月に再建 |
| 1313年(正和2年)5月 |
| 鎌倉幕府が六か条の禁制 |
| 1315年(正和4年)3月 |
| 若宮、別当坊が焼失 翌年11月に再建 |
| 1333年(元弘3年)5月 |
| 鎌倉幕府滅亡 十七代別当有助は東勝寺で自害 |
| 1386年(至徳3年)11月 |
| 足利氏満が六か条の禁制 |
| 1434年(永享6年)3月 |
| 足利持氏が血書願文を奉納 |
| 1526年(大永6年)11月 |
| 里見実堯の来襲 諸堂が炎上 |
| 1540年(天文9年)11月 |
| 北条氏綱が再建 |
| 1590年(天正18年)7月 |
| 豊臣秀吉が参拝 |
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| この年、豊臣秀吉は、小田原征伐を行い小田原城を開城させ後北条氏を滅ぼした。 その後、奥州へ向かう途中で鶴岡八幡宮を参詣している。 そのときに秀吉が見たという源頼朝像は、白旗神社に安置されていたといわれ、現在は東京国立博物館が所蔵しているものだといわれている。 |

| 鶴岡文庫に常設展示されている模型は、1591年(天正19年)、豊臣秀吉が作らせた「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」(鶴岡八幡宮指図)によるもの。 |
| 1593年(文禄2年) |
| 徳川家康が五院を再興させ十二院とする (参考:二十五坊) |


| 鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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