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源頼朝は、1147年(久安3年)4月8日、尾張国で誕生。 父は源義朝、母は熱田神宮大宮司藤原季範の娘由良御前。 幼名は鬼武者。 |
熱田神宮 (名古屋市) |
源頼朝誕生地 (名古屋市) |
三男ですが、当時は母の家柄が重んじられたため、当初より嫡子として育てられます。 1159年(平治元年)の「平治の乱」では、13歳で初陣となりますが、平清盛に敗れ、伊豆国の蛭ヶ小島に流されます。 それから20年後の1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵を果たし、先祖ゆかりの鎌倉に入ります。 鶴岡八幡宮を中心に武家の都を整備し、1185年(元暦2年)には平氏を滅ぼし、1189年(文治5年)には北の脅威だった奥州藤原氏を滅ぼして全国を手中にし、武家による鎌倉政権を確立しました。 1192年(建久3年)には、征夷大将軍に任ぜられ、名実ともに武家の棟梁となっています。 |
頼朝の先祖 頼義・義家・義光・義朝 |
頼朝の兄弟たち 範頼・全成・義経など |
北条政子 |
源義経 |
頼家 | 実朝 |
坊門姫 | 夜叉御前 |
比企尼 | 寒河尼 | 山内尼 |
頼朝が流されたという蛭ヶ小島にある梛の葉の縁結びの碑。 頼朝と政子は、伊豆山権現の加護によって結ばれたのだといいます。 |
「源」とは、天皇の皇子が賜った氏。 源氏は21流あるといわれていますが、源頼朝は清和天皇から出た清和源氏。 特に、頼朝の祖先は、河内を本拠としたので「河内源氏」と呼ばれています。 |
清和源氏発祥の宮 六孫王神社 |
河内源氏の氏神 壺井八幡宮 |
頼朝は鮭が好物だった・・・ |
納豆は、兵糧の煮豆が発酵して偶然にできた食べ物だった・・・ |
甲斐善光寺の「木造源頼朝坐像」は、頼朝が信仰した信濃善光寺にあったもの。 頼朝像としては国内最古の彫像。 「木造源実朝坐像」も最古の彫像と判明している。 |
横浜市戸塚区にある平戸白旗神社には、頼朝の遺髪が伝えられている。 |
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