鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



歴史めぐり源頼朝
〜源頼朝は清和源氏ではないのか?〜








 「源」の姓は、嵯峨天皇から臣籍降下した源信(みなもとのまこと)らが名乗ったのが最初。


臣籍降下とは、皇族がその身分を離れ、姓を与えられて臣下の籍に降りること。


 「源氏」は、祖とする天皇別に21流あった。

 「清和源氏」は、清和天皇の第六皇子貞純親王の子経基が「源」の姓を賜り臣籍降下したのを始まりとする。

 経基の子満仲は武門としての地位を築き、満仲の三男頼信は河内国を本拠としたため、頼信の系統は「河内源氏」と呼ばれるようになる。

 「河内源氏」は、東国武士団を支配下に入れ、鎌倉に幕府を開く源頼朝へ繋がっていく。


六孫王神社
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(京都:清和源氏発祥の宮)


壺井八幡宮
リンクボタン壺井八幡宮
(羽曳野市:河内源氏発祥の地)


 しかし・・・

 明治時代に星野恒という歴史学者は、石清水八幡宮の祠官田中家の文書として伝えられる「源頼信告文」から、源経基の系統は清和源氏ではなく陽成源氏だという説を提唱した。

 その告文によると頼信の系図はこうなる。

 清和天皇→陽成天皇→元平親王→経基→満仲→頼信・・・・・・→頼朝

 ただ、星野説は頼信の告文が原文ではなく写しであることなどから、信憑性がないということで今日まで、

 清和天皇→貞純親王→経基→満仲→頼信・・・・・・→頼朝 という系図が通説とされてきた。

 ただ、近年、星野説を認める学説もあり、決着するに至っていない。


石清水八幡宮
リンクボタン石清水八幡宮
(八幡市)





源頼朝








編集:yoritomo-japan.com


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