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| 鎌倉の芸術・文化に関する記述について,最も適当なものを 1 ~ 4 から選びなさい。 |
| (56) | 今春11年ぶりに続編「続・続・最後から二番目の恋」が放映された,鎌倉の古民家を舞台にしたテレビドラマ「最後から二番目の恋」の主演はだれか。 |
| 1 天海祐希 2 綾瀬はるか 3 石原さとみ 4 小泉今日子 |
| (57) | 奈良の当麻寺所蔵の浄土変相図の由来を描いた国宝「当麻曼荼羅縁起」を所蔵しているのはどこか。 |
| 1 鶴岡八幡宮 2 光明寺 3 建長寺 4 円覚寺 |
| 当麻曼荼羅縁起は、大旦那内藤家から光明寺に寄進されたもの(鎌倉国宝館に寄託)。 毎年春に開催される光明寺寺宝展では、当麻曼荼羅縁起の写本が展示されています。 |
| (58) | 鎌倉市にある建造物で唯一国宝である円覚寺舎利殿は,どの寺の仏殿を移建したものか。 |
| 1 東勝寺 2 最明寺 3 太平寺 4 禅興寺 |
| 円覚寺舎利殿は、北条氏康が西御門にあった尼寺太平寺の仏殿を移築したもの。 太平寺の仏殿に置かれていた木造聖観音立像は東慶寺が所蔵しています。 |
| (59) | 衆僧が修行する上での心構えと,僧堂での取り決め・罰則を記した,国宝「大覚禅師墨蹟 法語規則」を所蔵している寺院はどこか。 |
| 1 瑞泉寺 2 常楽寺 3 円覚寺 4 建長寺 |
| 大覚禅師(蘭渓道隆)は建長寺の開山。 「法語規則」は、双幅で一幅には法語、もう一幅には規則が記してあります。 |
| (60) | 鎌倉幕府3代将軍源実朝の家集は何か。 |
| 1 『金槐和歌集』 2 『山家集』 3 『千載和歌集』 4 『玉葉和歌集』 |
| 源実朝は、『新古今和歌集』の撰者藤原定家に師事しました。 家集の『金槐和歌集』は『鎌倉右大臣家集』とも呼ばれ、定家から『万葉集』が贈られた1213年(建保元年)頃に成立した自撰のものと考えられています。 |
| (61) | 次の夏目漱石の作品のうち,鎌倉が登場する作品はどれか。 |
| 1 『吾輩は猫である』 2 『こころ』 3 『それから』 4 『三四郎』 |
| 夏目漱石は『こころ』の中で夏の由比ヶ浜の賑わいをこう描いています。 「古いくすぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へおりると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。 ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。 そのなかに知った人を一人ももたない私も、こういうにぎやかな景色の中につつまれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たして、そこいらをはね回るのは愉快であった」 |

| (62) | 夏目漱石の弟子のひとりで,「鎌倉ペンクラブ」の代表となり,鎌倉カーニバルなどの市民活動に積極的に参加した作家はだれか。 |
| 1 大佛次郎 2 高見順 3 久米正雄 4 里見弴 |
| 1934年(昭和9年)から始まった「鎌倉カーニバル」の開催に尽力し、1936年(昭和11年)に「鎌倉ペンクラブ」を結成して初代会長を務めたのは久米正雄。 2016年(平成28年)から始められた「鎌倉市民カーニバル」は「鎌倉カーニバル」を手本にしたもの。 |
| (63) | 1969年(昭和44)に最初の鎌倉市の名誉市民となった川端康成が,1946年(昭和21)から没年まで居を構えていた地はどこか。 |
| 1 二階堂 2 雪ノ下 3 佐助 4 長谷 |
| ノーベル賞作家・川端康成が鎌倉に移り住んだのは1935年(昭和10年)。 1946年(昭和21年)には長谷の甘縄神明神社前に移り住みました。 『山の音』には、甘縄神明神社の様子も描かれています。 |
| (64) | 亡くなるまでの約10年間を鎌倉で過ごし,鎌倉在住の文士と親しく交流し,「東京物語」や「秋刀魚の味」など松竹大船撮影所で多くの名作を生み出した映画監督はだれか。 |
| 1 黒澤明 2 溝口健二 3 小津安二郎 4 木下惠介 |
| 松竹大船撮影所で監督として数々の名作を生みだしたのは小津安二郎。 晩年は母とともに北鎌倉の浄智寺近くに住居を構えました。 |
| (65) | 鎌倉に残る貴重な戦前の洋風住宅建築物の一つである旧華頂宮邸があるのはどこか。 |
| 1 山ノ内 2 浄明寺 3 長谷 4 雪ノ下 |
| 旧華頂宮邸があるのは、竹の庭で知られる報国寺の奥。 |

| (66) | 「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」は,どの池の畔に建っているか。 |
| 1 平家池 2 源氏池 3 白鷺池 4 大覚池 |
| 鶴岡八幡宮の「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」は、旧神奈川県立近代美術館鎌倉館を利用したガイダンス施設。 平家池の畔にあります。 |
| (67) | 鎌倉の歴史的遺産・文化的遺産を学び,体験し,交流できる場として 2017年(平成29)に開館した「鎌倉歴史文化交流館」があるのはどこか。 |
| 1 小町 2 扇ガ谷 3 雪ノ下 4 長谷 |
| 鎌倉歴史文化交流館は、無量寺ヶ谷(現在の扇ガ谷一丁目)に建てられた博物館。 安達義景の十三回忌供養が行われた無量寺跡ともいわれています。 無量ヶ谷には、刀工正宗の子孫綱廣も住み、葛原岡神社の合鎚稲荷社は綱廣邸の跡地に建てられていた社。 |
| (68) | 大正関東地震(関東大震災)の際に多くの貴重な文化財が失われたことを教訓に,災害から文化財を守り,鎌倉を訪れる人々が文化財を拝観できる展示施設としてつくられたのは何か。 |
| 1 神奈川県立近代美術館 2 鎌倉宮宝物殿 3 鶴岡八幡宮宝物殿 4 鎌倉国宝館本館 |
| 1928年(昭和3年)、鶴岡八幡宮の境内に開館した鎌倉国宝館。 本館の建物は、奈良東大寺の正倉院を模した「高床式校倉風」。 |
| (69) | 鎌倉彫のもとになる宋の彫漆工芸を日本に持ち込んだといわれる人物はだれか。 |
| 1 無学祖元 2 成朝 3 蘭渓道隆 4 陳和卿 |
| 鎌倉彫は、運慶の子康運が宋の工人陳和卿が持ち込んだ彫漆工芸を真似て、東大寺法華堂の仏具を作ったことに始まるのだといわれています。 陳和卿は、源実朝から中国に渡るための大船建造を命じられたことで知られています。 |
| (70) | 「近代日本最大の仏教者」ともいわれる鈴木大拙が研究のために東慶寺に創設したものは何か。 |
| 1 東慶寺文庫 2 金沢文庫 3 松ヶ岡文庫 4 常盤山文庫 |
| 東慶寺は松ヶ岡御所とも呼ばれていた寺。 晩年、鎌倉に住んだ鈴木大拙は、東慶寺境内に財団法人松ヶ岡文庫を創設して研究生活を送りました。 |
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