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葛原岡神社は、由比ヶ浜の鎮守。 祭神は後醍醐天皇に仕えた朝臣日野俊基。 1887年(明治20年)、明治天皇が忠臣顕彰のために創建した。 俊基は、1332年(元弘2年)6月3日、後醍醐天皇の倒幕計画に参加した罪で葛原ヶ岡で斬首(元弘の変)。 葛原岡神社がある場所が俊基の最期の地といわれ、「秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん」と詠んで死に果てたという(参考:鎌倉幕府の滅亡)。 境内には、俊基の墓とされる宝篋印塔が建てられている。 |
祭神 |
日野俊基
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※ | 「元弘の変」では、日野俊基以外にも北条氏調伏の祈祷をしたとして円観・文観・忠円といった僧も捕らえられている。 円観は、鎌倉幕府滅亡後、宝戒寺の開山となった。 |
後醍醐天皇の倒幕計画と日野俊基(正中の変・元弘の変) 後醍醐天皇の討幕計画と宝戒寺開山の円観慧鎮(元弘の変) |
葛原岡神社の初詣と無患子守 鎌倉:恋愛・良縁のパワースポット 朝廷内の対立と後醍醐天皇 |
日野俊基の墓 |
日野俊基終焉地 |
縁結び石 (祭神は大黒天) |
魔去ル石 |
合鎚稲荷社 (刀工正宗ゆかり) |
藤原仲能の墓 (海蔵寺と道智禅師) |
旧本殿に納められていた神龍。 約120年にわたり祭神を守り続けてきた。 |
「葛原ヶ岡」という地名は、鎌倉景成がその祖「葛原親王」(かつらはらしんのう)を氏神として丘上に祀ったことで付けられた名といわれている。 梶原の鎮守・御霊神社は、葛原親王の社を遷座したとも伝えられ、坂ノ下の御霊神社は、その分社とも伝えられる。 葛原親王は桓武平氏の祖。 その子(孫?)の高望王は坂東平氏の祖。 鎌倉景成は、高望王の五男で平良文の子孫とされ、景成の子が権五郎景政、その子孫には梶原景時がいる。 |
源頼朝像の建つ源氏山公園から葛原岡神社へと向かう参道は、桜・紅葉・ツバキの名所。 |
桜 |
アジサイ |
紅葉・黄葉 |
ツバキ |
例祭(墓前祭) 6月3日 |
無患子守 |
玉こんにゃく |
例大祭 |
葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースは、浄智寺から葛原ヶ岡を抜けて鎌倉大仏までのハイキングコース。 途中には葛原岡神社、源氏山公園、銭洗弁財天、佐助稲荷神社などがある。 |
葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース:その1 葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース:その2 葛原岡神社参道(北鎌倉駅〜瓜ヶ谷やぐら群〜葛原ヶ岡) 浄智寺〜天柱峰〜葛原ヶ岡〜源氏山公園2011/05/03 無患子(むくろじ)・・・葛原岡神社 |
明治天皇を祀る明治神宮は、2020年(令和2年)で創建100年。 |
鎌倉市梶原5−9−1 0467(45)9002 鎌倉駅西口より徒歩30分 北鎌倉駅より徒歩30分 |
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