鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉の桜 鎌倉のアジサイ



城願寺の七騎堂
〜源頼朝七騎落の伝説〜
(湯河原町)

編集:yoritomo-japan.com








城願寺七騎堂


 城願寺の七騎堂には、「頼朝七騎」の像が祀られている。

 謡曲「七騎落」では・・・

 石橋山の戦いで敗北し、山中をさまよっていた源頼朝主従八騎は、船で安房に向かうことを決めるが、源氏にとって「八騎」というのは不吉な数であることから、七騎にするよう土肥実平に命じた。

 実平は、自分の息子遠平を下船させたのだという。

 下船させられた遠平は、和田義盛の船に救われ、一同が歓喜の酒宴を催したのだとか・・・ 


平治の乱に敗れた源義朝が落ちのびるときが八騎だったといわれている。


リンクボタンたった八騎で都を落ちた源義朝



城願寺七騎堂


 七騎堂に祀られているのは・・・

 安達盛長岡崎義実、新開忠氏、源頼朝、土屋宗遠、土肥実平田代信綱


新開忠氏は土肥実平の子らしい?

土屋宗遠は土肥実平の弟。





〜『吾妻鏡』の記録による船出〜

 『吾妻鏡』の記録では、岡崎義実は頼朝の船出の前日に、北条時政義時・近藤国平らと真鶴を船出したことになっている。

 また、安房国に上陸したときには「土肥実平を連れて」と記録されているのみで他の名はないので、もしかすると頼朝の船に乗っていたのは実平のみだったのかも。

 ただ、『延慶本平家物語』は、土肥実平岡崎義実も頼朝とともに乗船し、安房国へ渡ったと伝えている。









〜政子に船出を知らせた遠平〜
(『吾妻鏡』)

秋戸郷跡の碑
リンクボタン秋戸郷跡

 遠平が安房へと向かう船から下船させられたかどうかは別として・・・

 『吾妻鏡』によると、遠平は熱海の秋戸郷に隠れ潜んでいた北条政子に、頼朝が安房国へ渡ったことを知らせる重要な役割を果たしている。


のちに後北条氏の居城となる小田原城は、遠平の小早川城に始まる。





〜真鶴に伝わる伝説〜

源頼朝船出の浜
リンクボタン源頼朝船出の浜
(真鶴町)

 頼朝船出の地・真鶴に残された伝説では、遠平が下船させられたのは、船出の時に子の万寿に会うことを望んだからなのだという。

 万寿の母は敵将伊東祐親の次女・万劫。


児子神社
リンクボタン児子神社
真鶴・瀧門寺
リンクボタン瀧門寺

 児子神社は、悲しみの果てに海に身を投げたという土肥遠平の子万寿を祀る社。

 瀧門寺の五層塔は、万寿を葬った塔なのだと伝えられている。








石橋山古戦場
リンクボタン石橋山古戦場


源頼朝船出の浜
リンクボタン源頼朝船出の浜
(真鶴町)
源頼朝上陸地
リンクボタン源頼朝上陸地
(鋸南町)


土肥祭
リンクボタン土肥祭
焼亡の舞
リンクボタン焼亡の舞

 4月第一日曜日の土肥祭源頼朝の武者行列)では、城願寺で供養が行われ、実平が土肥館が焼かれるのを見て舞ったという焼亡の舞が催される。




源頼朝挙兵

歴史めぐり源頼朝



城願寺
リンクボタン城願寺

神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252

JR湯河原駅から徒歩10分







源頼朝配流の地・北条氏発祥の地
(伊豆の国市)

北条の里〜頼朝・時政・政子をめぐる〜
(伊豆の国市)

 伊豆・箱根

熱海の源頼朝伝説

伊東で源頼朝伝説

湯河原・真鶴の源頼朝伝説


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編


鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)



紫式部 紫式部と越前国


鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


徳川家康 日光東照宮