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1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をした源頼朝は、伊豆国目代山木兼隆を討ち、相模国へと進軍するが、24日未明、石橋山の戦いで敗北。 山中を彷徨った後、28日、真鶴から船出して安房へと逃れた。 その間、北条政子と娘大姫は、走湯権現(伊豆山神社)に身を潜めていたが、9月2日、平家の手から逃れるため、別当の文陽房覚淵の計らいによって、秋戸郷(あきとのごう)に移された。 政子は、頼朝の使いとして来た土肥実平の子遠平によって、頼朝が安房に逃れたことを知ったというが、舟に乗ってからの動向については不明だったという。 それから1ヶ月後の10月6日、頼朝は相模国に入り、11日には政子も鎌倉に入っている(参考:鎌倉:稲瀬川)。 |
※ | 『吾妻鏡』によれば、8月19日、政子は走湯権現(伊豆山神社)の覚淵の房舎屋に移って隠れ住んでいた。 |
※ | 覚淵は源頼朝の挙兵に参じた加藤景員の子で、山木兼隆を討った加藤景廉と兄弟だという。 |
源頼朝船出の浜 (真鶴町) |
源頼朝上陸地 (鋸南町) |
伊豆山神社は、古くは走湯大権現とも呼ばれ源頼朝と北条政子が崇敬した神社。 境内には、二人の腰掛け石が残されている。 |
静岡県熱海市伊豆山上野地708番地1 JR熱海駅からバスで7分 |
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