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田代信綱は、「平治の乱」で敗れ、伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝に仕えいたの武将。 父は、伊豆国の国守だった藤原為綱、母は工藤介茂光の娘と伝えられている(後三条天皇の末裔だともいう。)。 1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に従い、源義経の麾下にあって一ノ谷や屋島の戦いで活躍した。 その功績が認められ、狩野荘田代郷の地頭に補されている。 1221年(承久3年)の承久の乱でも功をたて、和泉国大島郷の地頭職を得たという。 信綱が治めていた田代郷の「田代砦跡」には、田代信綱の墓と伝わる五輪塔が建てられている。 |
田代信綱の祖父工藤茂光は、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に従い、石橋山の戦いで自害している。 |
「田代砦跡」は、伊豆市田代468−2にある丘上の約60坪の平地。 |
田代砦跡の近くには、曹洞宗の叢林寺があって観音堂には田代信綱の守本尊とされる千手観音が祀られている。 |
安養院 |
観音堂 (安養院) |
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