鎌倉手帳(寺社散策)

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安養院の観音堂
観音巡礼第三番:田代観音


編集:yoritomo-japan.com







安養院観音堂


 安養院の観音堂に安置されている「木造千手観音像」は、源頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた頃から仕えていた田代信綱の観音像を胎内に納めた仏像であることから「田代観音」と呼ばれる。

 また、北条政子が祈願して源頼朝と結ばれたという言い伝えがあることから「良縁観音」、頼朝が天下をとることができたことから「昇竜観音」とも呼ばれている。

 (参考:田代観音と呼ばれる安養院(okadoのブログ)





〜田代観音〜

 田代観音は、もとは妙本寺の東南にあった普門院の本尊だった。

 観音信者であった田代信綱は、持っていた観音像のおかげで戦に勝利することができたとして観音堂の創建を思い立ち、辻堂(藤沢市)にあった千手観音像の胎内に観音像を納め、尊乗上人を開山に迎えて比企ヶ谷に白花山普門院田代寺を創建したと伝えられている(1192年(建久3年))。

 千手観音像は、恵心僧都が江の島から鎌倉へ向かう途中、辻堂の川で亀に守られていた霊木で彫った像とされる。

 普門院は、1680年(延宝8年)に火事で焼失したため、本尊が安養院へ移された(参考:叢林寺(伊豆市))。

 (※写真は、本尊阿弥陀如来と千手観音)


阿弥陀如来と千手観音


〜宋から持ち帰られた像〜

 田代信綱が信仰していた観音像は、986年(寛和2年)、宋に渡った東大寺の僧・「然(ちょうねん)が持ち帰ったもので、宮中に祀られていたが、1068年(治暦4年)、後三条天皇のときに第三皇子の輔仁親王にわたり、その後、輔仁親王の子花園左大臣有仁卿、その子伊豆国司中納言為綱卿を経て、その子田代信綱の手にわたったものと伝えられている。

 観音像を持ち帰った「然は、京都の清涼寺「三国伝来の釈迦如来」を伝えた僧として知られている。

 ※ 極楽寺の「清涼式釈迦如来」は、清涼寺の釈迦如来を模刻したもの。







安養院
リンクボタン安養院

 安養院は、北条政子源頼朝の菩提を弔うために創建したという長楽寺を前身としている。
 千手観音像は、坂東観音巡礼鎌倉観音巡礼の第三番。


鎌倉市大町3−1−22
0467(22)0806

鎌倉駅東口より徒歩12分



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