鎌倉手帳(寺社散策)

土肥祭・武者行列
(湯河原町)

編集:yoritomo-japan.com







 「土肥祭」は、JR湯河原駅周辺に館を構え、源頼朝の挙兵に尽力した土肥実平を偲ぶ祭。

土肥祭


 武者行列は、1180年(治承4年)に源頼朝伊豆国で挙兵し、土肥郷に入って石橋山へと出陣する様子を再現したもの。

 頼朝が戦勝祈願をしたと伝えられる五所神社から桜木公園までを武者姿などの土肥実平源頼朝北条時政政子がパレードします。

 石橋山の戦いに敗れた後、自分の館が焼かれるのを見た実平が舞ったといわれる「焼亡の舞」(じょうもうのまい)も数カ所で披露されます。

 武者行列のパレード後は、実平の菩提所城願寺で実平と、頼朝主従の法要が営まれます。


土肥祭:4月第1日曜日
2019年は4月7日

10:00〜
武将の名乗り
出陣の儀
焼亡の舞
(五所神社)

11:00〜
武者パレード
(五所神社〜湯河原駅)

11:30〜
武将の名乗り
出陣の儀
焼亡の舞
(湯河原駅)

13:30〜
土肥實平、頼朝主従法要
焼亡の舞
一般参加墓参 等
(城願寺)


土肥祭







 土肥実平は、石橋山の戦いに敗れた源頼朝を守り、真鶴から安房へ逃すのに貢献した武将。

 JR湯河原駅周辺にあったという館を拠点に小田原周辺までを領地として「早川殿」と呼ばれていました。

 戦国武将の小早川氏は土肥郷の出といわれ、実平の子遠平が「小早川」を称したのがはじまりだといいます。


土肥実平
リンクボタン土肥実平
石橋山古戦場
リンクボタン石橋山古戦場


 1180年(治承4年)8月17日に挙兵して伊豆国の目代山木兼隆を討った源頼朝は、8月20日、相模国へ進軍し、23日には石橋山に布陣しました。

 しかし、翌朝には大庭景親伊東祐親らの平氏軍に敗れ、実平の案内で山中に逃れます。

 そのとき、頼朝が隠れ潜んだのが「しとどの窟」だといわれています。


しとどの窟
リンクボタンしとどの窟
箱根神社
リンクボタン箱根神社


 頼朝は、一時、箱根権現を頼りますが間もなく土肥郷へと戻り、8月28日、真鶴から安房へと船出しました。

 安房で態勢を立て直した頼朝は、10月6日、相模国に入り、鎌倉を本拠とします。


頼朝船出の浜
リンクボタン頼朝船出の浜
源頼朝上陸地
リンクボタン源頼朝上陸地


土肥祭
武者行列

土肥祭
平家の赤旗

 行列の武者達は源氏の白旗を掲げていますが、一人だけ平家の赤旗を掲げている者がいます。

 その名は石橋山で敗れ、山中に隠れ潜んでいた頼朝を見逃したという梶原景時







〜焼亡の舞〜

 「焼亡の舞」(じょうもうのまい)は、伊東祐親が土肥館に火を放ち、これを山上から見ていた土肥実平が「めでたい」といって舞ったものだといいます。 


焼亡の舞
リンクボタン焼亡の舞





源頼朝挙兵

歴史めぐり源頼朝



五所神社(湯河原町)
リンクボタン五所神社
(湯河原町)

神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359−1

JR湯河原駅から徒歩15分


城願寺
リンクボタン城願寺

 城願寺は、土肥実平が再興した土肥一族の菩提所。
 七騎堂には、源頼朝をはじめとする頼朝の挙兵に従った安達盛長岡崎義実、新開忠氏、土屋宗遠、土肥実平田代信綱が祀られています。


神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252

JR湯河原駅から徒歩10分






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