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源頼朝ゆかりの高源寺
〜伊豆函南〜

編集:yoritomo-japan.com







高源寺


 高源寺は弘法大師(空海)によって開かれたという古寺。

 平治の乱の敗北によって伊豆国蛭ヶ小島に流されていた源頼朝文覚と源氏再興の密議を行った寺と伝えられ、石橋山へ進軍する頼朝軍の「軍勢ぞろいの地」とも伝えられている。

 頼朝が伊豆に流されていた当時の高源寺は、長久寺と称する真言宗の寺で、修行の道場として伊豆国一円を支配していたものと考えられている。

 山火事によって伽藍を焼失してしまうが、1190年(建久元年)に源頼朝が再興。

 その時に「長久寺」から源氏の一字を入れた「高源寺」に改められたのだとか・・・

 山号は寶船山。

 現在は曹洞宗の寺院。


〜文覚とは?〜

 文覚は、後白河法皇神護寺再興の強訴をして伊豆に流された怪僧。

 頼朝が流されていた蛭ヶ小島に近い奈古谷に草庵を結び、頼朝に源氏再興の挙兵を勧めたのだと伝えられている。 

リンクボタン源頼朝に挙兵を勧めた文覚(『平家物語』)


〜源氏再興の挙兵〜

 1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をした源頼朝は、伊豆国目代の山木兼隆を討つと、8月20日、相模国へ進軍を開始。

 石橋山の戦いで敗れてしまうが、真鶴から安房へ渡り再挙。

 10月6日(7日)には鎌倉入りを果たした。


高源寺


高源寺公式インスタグラム






高源寺比企尼の宝篋印塔
比企尼の宝篋印塔

 源頼朝が伊豆に流されていた約20年間、頼朝を援助し続けた比企尼の屋敷も高源寺の近くにあったのだという。

 比企尼頼朝の乳母。

 頼朝が蛭ヶ小島の流人だった頃から仕えていた安達盛長の妻は、比企尼の長女丹後内侍。

 流人頼朝の命を救ったという伊東祐清の妻は、比企尼の三女。


源頼朝の乳母・比企尼

比企能員


リンクボタン比企能員を源頼家の乳母夫に推挙〜比企尼の逸話〜



高源寺参道
苔むした石畳と四脚門

高源寺鐘楼門
鐘楼門

高源寺鐘楼門 高源寺鐘楼門



不動の滝
リンクボタン不動の滝(冷川不動尊)

 高源寺の門前を流れる冷川沿いにある不動の滝

 滝の横の石祠は「冷川不動」と呼ばれ、かつては、高源寺の塔頭「不動院」があった場所という。

 本尊の赤不動明王は文覚の作と伝わる。


文覚



北条宗時の墓
リンクボタン北条宗時の墓
(函南町大竹)

 北条宗時は、北条時政の長男で北条政子北条義時の兄。

 『吾妻鏡』によると、源頼朝石橋山の戦いで大敗すると、宗時は土肥から桑原を経て平井へと向かおうとしたが、早川(はやかわ)の辺りで伊東祐親の軍に討たれたのだという。

 宗時が討たれた早川とは、函南町を流れる冷川(ひえかわ)の事ではないかとする説がある。


2022年のNHK大河ドラマ
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源頼朝挙兵

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歴史めぐり源頼朝



高源寺
高源寺

静岡県田方郡函南町桑原1265

JR函南駅から徒歩30分


高源寺公式インスタグラム



高源寺・不動の滝・北条宗時墓
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