「桑原薬師堂の仏像」と「かんなみ仏の里美術館」 |
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かつて伊豆国桑原郷(現在の函南町桑原)には、箱根権現(現在の箱根神社)を開いた万巻の弟子たちによって建立された「小筥根山新光寺」という大寺があったのだという。 『筥根山縁起』によると、816年(弘仁7年)、万巻は嵯峨天皇の命により上洛しようとするが、途中で亡くなってしまう。 弟子たちは、万巻の骨と京都へ運ぶはずだった仏像などの荷物を持って箱根に引き上げるが、大きな仏像を箱根の山に上げることは困難だったため、桑原郷に一宇を建立したのだという。 これが薬師如来を本尊とした新光寺の起こりで、鎌倉時代には廃れていた寺を源頼朝が再興したのだと伝えられている。 |
明治の廃仏毀釈により新光寺や子院の平清寺が廃絶すると、安置されていた二十四体の仏像は住民によって高源寺に移され、その後、長源寺境内に建立された薬師堂に納められていた。 |
2008年(平成20年)、薬師堂の二十四体の仏像が函南町に寄付され、2012年(平成24年)には「かんなみ仏の里美術館」が開館し収蔵されている。 かんなみ仏の里美術館HP |
古くは箱根権現と称された箱根神社。 箱根の「箱」は、「筥」や「函」とも記されるが、「函南」という地名には「箱根の南」という意味があるのだとか。 |
一時、二十四体の仏像が移されたという高源寺は、桑原薬師堂が建てられた長源寺の本寺なのだという。 源頼朝が文覚と源氏再興の密議を行った寺と伝えられ、石橋山へ進軍する頼朝軍の「軍勢ぞろいの地」とも伝えられている。 新光寺の奥の院だったとも。 |
「かんなみ仏の里美術館」の仏像のうち「阿弥陀三尊像」(重要文化財)は、北条時政が石橋山の戦いで討死した子・宗時の慰霊のため、奈良仏師の実慶に造立させたものと伝えられている。 実慶は奈良興福寺を拠点に活動していた慶派仏師。 願成就院の諸像を造立した運慶と同時期に活動していたものと推測されている。 修禅寺の本尊大日如来も実慶の作。 |
桑原薬師堂 静岡県田方郡函南町桑原592 かんなみ仏の里美術館 静岡県田方郡函南町桑原89−1 かんなみ仏の里美術館HP |
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