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渉成園(しょうせいえん)は、東本願寺の飛地境内地の庭園。 1641年(寛永18年)、三代将軍徳川家光から寄進された土地で、庭園は三河国出身の武将・石川丈山の作庭と伝えられ、国の名勝に指定されている。 東本願寺十三世の宣如が隠居所とし、周囲に枳殻(からたち)を生垣として植えたことから枳殻邸とも呼ばれる。 |
渉成園は、平安時代にあった嵯峨天皇の十二皇子・源融の邸宅・河原院の一部。 源融が奥州・塩釜の風景を模して庭園を造営し、尼崎から海水を運んで塩焼き(製塩)を楽しんだ地なのだという。 塩竈町や塩小路通などの地名は、その名残りなのだといわれ、五条通沿いにある本覚寺・上徳寺も邸跡とされる。 源融(みなもとのとおる)は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルともいわれ、夕顔と一夜を明かした某院は河原院がモデルなのだとか・・・ |
夕顔之墳の石碑が建つ地には、光源氏に連れ出された某院で、物の怪が現れて命を落とした夕顔の墓がある。 |
遍照寺は、村上天皇の第七皇子・具平親王の妾妻・大顔が急死した地。 夕顔は大顔がモデルなのだとか。 |
清凉寺は、源融の別邸「栖霞観」(せいかかん)があった場所。 阿弥陀堂の木造阿弥陀三尊坐像は、融の発願で造立されたのだという。 |
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阿弥陀堂の木造阿弥陀三尊坐像は源融の発願で造立されたもので国宝。 境内には源融の墓がある。 |
平等院は、源融の別邸「宇治殿」(うじどの)があった場所。 |
融神社は、源融が閑居した旧蹟にある社。 |
『源氏物語』の主人公・光源氏が建設した六条院は、河原院がモデルともいわれる。 |
京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町 JR「京都駅」から徒歩10分 |
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