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錦天満宮
源融の河原院跡にあった社

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錦天満宮


 錦天満宮(にしきてんまんぐう)は、1003年(長保5年)、源融の六条河原院跡に移された歓喜寺の鎮守社として創建されたことに始まる。

 歓喜寺は、菅原道真の邸宅・菅原院を前身とする。

 1299年(正安元年)、移転してきた善導寺と合併して歓喜光寺と改められ、1587年(天正15年)、豊臣秀吉の都市計画によって現在地に移転したのだという。

 1872年(明治5年)の神仏分離令により錦天満宮が分離。

 歓喜光寺は東山を経て山科に移転している。




塩竃神社
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 塩竈神社は、歓喜光寺の鎮守として創建された源融を祀る社。



日乃出稲荷神社
日乃出稲荷神社

 祭神:倉稲魂命



白太夫神社
白太夫神社

 祭神は、平安時代のの祀官で伊勢神宮外宮の禰宜だった渡会春彦。



七社之宮
七社之宮

 八幡神社・床浦神社・竃神社・市杵島神社・熊野神社・恵美須神社・事比良神社



錦の水
名水・錦の水










〜源融の河原院跡〜


源融 河原院址
リンクボタン河原院址
(京都)
渉成園
リンクボタン渉成園
(京都)


 河原院は、紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされる源融が営んだ大邸宅。

 源融は、陸奥国の塩竈で見た景色を忘れることができず、塩竈の風景を模した庭園を造営し、尼崎から海水を運んで塩焼き(製塩)を楽しんだのだという。

 渉成園は、河原院の一部に造営された庭園。 





〜源融が下った陸奥国・塩竃〜


鹽竈神社
リンクボタン鹽竈神社
(塩竃市)
融ヶ岡
リンクボタン融ヶ岡
(塩竃市)


 源融は、864年(貞観6年)、陸奥・出羽の按察使として陸奥国に下向したのだという(下向していないという説もある。)。

 鹽竈神社は、陸奥国府があった多賀城の鬼門の位置に鎮座する陸奥国一宮。

 源融は鹽竈神社の南の融ヶ岡に別荘を構えていたのだという。



御釜神社
リンクボタン御釜神社
(塩竃市)

 御釜神社は、鹽竈神社の神器を安置する末社。

 毎年7月4日から6日にかけて、古代の製塩法を今に伝える「藻塩焼神事」が行われる。




光源氏:源融・藤原実方ゆかりの陸奥国





〜源融の歌〜

 「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」

 この歌は、源融が陸奥国で相思相愛の関係にあった虎女に贈った歌。



リンクボタン源融の歌〜河原左大臣が詠んだ陸奥国信夫の歌〜





〜紫式部の歌〜

 「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」

 この歌は、夫・藤原宣孝の死後、この世のはかなさを嘆いていた紫式部が陸奥国の名所絵を見て詠んだというもの。



リンクボタン紫式部の歌〜見し人の:夫・藤原宣孝の死を悼む歌〜





〜源融が亡くなって・・・〜

 「君まさで 煙絶えにし 塩釜の うらさびしくも 見え渡るかな」

 『古今和歌集』の撰者の一人・紀貫之が、煙の絶えた塩釜の浦を見て詠んだ歌。



リンクボタン紀貫之の歌〜河原左大臣源融が亡くなって…塩釜の浦〜











錦天満宮
錦天満宮

京都市中京区新京極通四条上ル中之町537



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