紫式部「光る君へ」


鹽竈神社
~東北鎮護・海上守護の陸奥國一宮~


編集:yoritomo-japan.com








鹽竈神社


 鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、陸奥国一宮。

 全国の鹽竈神社の総本社。

 創建年は不明だが、奈良時代以前より鎮座していたと考えられている。

 主祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)

 左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られている。

 社伝によると・・・

 武甕槌神と経津主神は、塩土老翁神の先導で諸国を平定した後、塩竈にやってくるがすぐに去ってしまい、残った塩土老翁神はこの地で人々に漁業や製塩法を教えたのだとか。

 古代は朝廷から崇敬され、中世になると藤原清衡をはじめとする奥州藤原氏が信仰。

 7月に行われる流鏑馬神事は、奥州藤原氏滅亡後に源頼朝の命により陸奥国留守職として多賀城に入った伊沢家景が、三頭の馬を献じて部下の士気を高めたことに始まるのだという。

 近世になると仙台藩主が崇敬し、伊達政宗以降の歴代藩主は大神主として奉仕している。

 現在の社殿は、仙台藩四代藩主・伊達綱村、五代藩主・伊達吉村のが建立したもので1704年(宝永元年)の竣工。

 1871年(明治4年)、志波彦神社が境内に遷座され、現在の正式名称は「志波彦神社・鹽竈神社」となっている。



鹽竈神社
随身門


鹽竈神社
左右宮拝殿


鹽竈神社
別宮拝殿


鹽竈神社
表参道石段



志波彦神社
志波彦神社

  志波彦神社(しわひこじんじゃ)は、陸奥国延喜式式内社の一つ。

 もとは宮城郡岩切村(現在の仙台市宮城野区岩切)に鎮座していたと考えられ、祭神の志波彦神(しわひこのかみ)は、塩土老翁神の幸御魂であるという説がある。










多賀城跡
リンクボタン多賀城跡
(多賀城市)

 多賀城は、724年(神亀元年)に築城されたと伝えられ、奈良時代・平安時代には陸奥国府や鎮守府が置かれていた。

 鹽竈神社は、都から赴任してきた国守などから鬼門の守護神として崇敬されたものと考えられている。



~源融と藤原実方~

 864年(貞観6年)、嵯峨天皇の第十二皇子・源融は、陸奥・出羽の按察使として陸奥国に下向。

 鹽竈神社の大鳥居の前の丘は融ヶ岡とも呼ばれ、融の別荘があった所と伝えられている。

 995年(長徳元年)、藤原行成の冠を投げ捨てたことが原因で陸奥守に左遷されたという藤原実方は、鹽竈神社で白髪の老人と出会い、歌枕として知られる「阿古耶の松」の所在を知ったのだという。



融ヶ岡
リンクボタン融ヶ岡
(塩竃市)
藤原実方の墓
リンクボタン藤原実方の墓
(名取市)


 融ヶ岡からの塩竈の景色を忘れることができない融は、帰京後、邸宅の河原院に塩竈の風景を模した庭園を造営している。

 阿古耶の松の所在を知った藤原実方は、さっそく駆け付けようとしたが、佐具叡神社を通る際に下馬しなかったため、神罰によって落馬して亡くなったのだと伝えられている。

 佐具叡神社跡に実方の墓がある。

 実方は中古三十六歌仙の一人で、一条天皇から「歌枕を見て参れ」と言われていたらしい。





~京都の塩竃神社~


錦天満宮
リンクボタン錦天満宮
塩竃神社
リンクボタン塩竃神社


 新京極の錦天満宮は河原院跡に創建された社で、境内の塩竃神社は源融を祀る。





文治の燈籠
リンクボタン文治の燈籠

 文治の燈籠は、源義経を庇護した藤原秀衡の三男・忠衡が寄進したもの。





御釜神社
リンクボタン御釜神社

 御釜神社は、鹽竈神社の神器を安置する末社。



浮嶋神社
リンクボタン浮嶋神社

 浮嶋神社は、多賀城にある鹽竈神社の末社。




光源氏:源融・藤原実方ゆかりの陸奥国










鹽竈神社
鹽竈神社

宮城県塩竈市一森山1-1

JR仙石線「本塩釜駅」から徒歩15分



光源氏:源融・藤原実方ゆかりの陸奥国




光源氏:源融・藤原実方が赴任した
陸奥国

大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。



紫式部・源氏物語・光る君へ
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。










紫式部


紫式部と越前国


源氏物語 光源氏


紫式部の京都 平安宮~源氏物語ゆかりの地~


琵琶湖で紫式部・源氏物語 源氏物語~須磨・明石~


宇治十帖~紫式部『源氏物語』~ 源融・藤原実方ゆかりの陸奥国


紫式部年表



藤原道長


藤原彰子



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~



葵祭

祇園祭

時代祭