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| 御釜神社(おかまじんじゃ)は、鹽竈神社の境外末社。 鹽竈神社の神器とされる四口の神竈(しんかま)が安置され、「塩竈」の地名の由来とされている。 祭神は塩土老翁神。 |
| 神竈は、塩土老翁神が人々に製塩法を教えたときに使った釜を模したものと言われ、鎌倉時代と南北朝時代に作られたと伝えられている。 四つの釜は直径1.4mほどの鉄釜。 海水が入っていて、釜の水があふれることはなく、水がなくなることもないのだという。 そして、世の中に異変があると水の色が変わるらしい。 1636年(寛永13年)2月上旬に変色した時には、伊達政宗が病気になり、5月24日に亡くなっている。 |
| 毎年7月4日から6日にかけて、塩土老翁神が伝えた古代の製塩法を今に伝える「藻塩焼神事」(もしおやきしんじ)が行われる。 藻塩焼は、海藻(ホンダワラ)を使って濃度の高い塩水を作り、これを煮詰めて塩を作るもの。 |
| 鹽竈神社は、もとはこの地に鎮座していたともいわれるが定かではない。 |
(京都) |
(京都) |
| 河原院は源融の邸宅。 塩竈の景色を忘れることができない融は、塩竈の風景を模した庭園を造営し、尼崎から海水を運んで塩焼き(製塩)を楽しんだのだという。 |
(渉成園) |
(渉成園) |
| 渉成園には、源融の供養塔や塩釜と塩釜の手水鉢がある。 |
| 紫式部の『源氏物語』~夕顔の巻~で光源氏の愛人・夕顔が物の怪に襲われた某院は、河原院がモデルといわれる。 |
| 新京極の錦天満宮は河原院跡に創建された社で、境内の塩竃神社は源融を祀る。 |
| 「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」 この歌は、夫・藤原宣孝の死後、この世のはかなさを嘆いていた紫式部が陸奥国の名所絵を見て詠んだというもの。 |
| 宮城県塩竈市本町6-1 JR仙石線「本塩釜駅」から徒歩8分 |
| 大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
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