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源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の第十二皇子で左大臣となった貴族。 紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされている。 河原院は、北は五条通・南は正面通・西は柳馬場通・東は鴨川にまで及んでいた融の大邸宅。 奥州・塩釜の風景を模して庭園が造営され、尼崎から海水を運んで塩焼き(製塩)を楽しんだ地なのだという。 塩竈町や塩小路通などの地名は、その名残りなのだといわれ、五条通沿いにある本覚寺・上徳寺も邸跡とされる。 融の没後は、宇多上皇の御所となり東六条院とも呼ばれた。 |
東本願寺の飛地境内地にある渉成園は、河原院の一部。 |
『源氏物語』の主人公・光源氏が建設した六条院は、河原院がモデルともいわれる。 |
光源氏が夕顔と一夜を明かした某院は河原院がモデルなのだとか 夕顔之墳の石碑が建つ地には、光源氏に連れ出された某院で、物の怪が現れて命を落とした夕顔の墓がある。 |
清凉寺は、源融の別邸「栖霞観」(せいかかん)があった場所。 阿弥陀堂の木造阿弥陀三尊坐像は、融の発願で造立されたのだという。 |
平等院は、源融の別邸「宇治殿」(うじどの)があった場所。 融の没後は、宇多天皇・源重信(宇多天皇の孫)を経て藤原道長のものとなった。 道長の子頼通が宇治殿を寺としたのが平等院。 |
京都市下京区木屋町通五条下る東側 |
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