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具平親王(ともひらしんのう)は、村上天皇の第七皇子。 冷泉天皇・円融天皇の異母弟。 六条宮・千種殿・後中書王などと通称された。 - 和歌・漢詩文に長じ、音楽・陰陽・医術にも通じ、慶滋保胤・大江匡衡・藤原公任・藤原道長などと交流。 紫式部の父・藤原為時とも交流があったのだという。 長女の隆姫女王は藤原頼通室、 次女の祇子女王は敦康親王妃、 三女の嫥子女王は藤原教通室となっている。 |
『古今著聞集』によると・・・ 具平親王は、月を愛でるため、密かに妾妻の大顔を連れて遍照寺を訪ねたのだが、大顔は物の怪に襲われて命を落としてしまったのだという。 紫式部の『源氏物語』の登場人物・夕顔は、大顔がモデルという説がある。 |
遍照寺 |
広沢池 |
遍照寺は、花山天皇(円融天皇とも)の御願により創建されたとされる寺院。 広沢池は、遍照寺の庭池で観月の名所だった。 大顔が物の怪に襲われた池。 |
源融 河原院址 |
渉成園 |
『源氏物語』の登場人物・夕顔は、光源氏に連れ出された某院で物の怪に襲われて命を落としている。 その某院は、光源氏のモデルの一人・源融の邸宅・河原院がモデルといわれる。 渉成園は、東本願寺の飛地境内地にある庭園で、河原院の一部に造営されている。 |
六条院は、『源氏物語』の中で光源氏が六条京極に造営した架空の建築物。 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君を住まわせている。 何故、六条の地に設定されたのか? 源融の河原院をモデルにしたともいわれるが・・・ 四季にさまざまな花が咲き乱れ、千種殿あるいは桃花閣とも呼ばれていた六条の宮具平親王邸をイメージしたのではないかという説がある。 |
紫式部は、中宮藤原彰子に仕える前に具平親王に仕えていたのではないかという説がある。 『紫式部日記』によると、藤原道長は紫式部を具平親王家に縁のある者と思っていたらしい。 |
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