洪鐘祭の面掛行列は、八雲神社に伝えられたもの。 令和の洪鐘祭で復活! |
面掛行列と言えば坂ノ下の御霊神社ですが・・・ 御霊神社の面掛行列は、鶴岡八幡宮の放生会で行われていた面掛行列に倣ったものといわれ、鶴岡八幡宮でも明治維新まで行われていました。 |
八雲神社の面掛行列は、江戸時代以来、例大祭で行われてきましたが・・・ 1965年(昭和40年)の洪鐘祭を最後に絶えてしまっていたのだそうです。 |
上の面は、7月に行われる八雲神社例大祭で飾られていた面。 八雲神社には、天狗・爺・烏天狗・猿・布袋・おかめ・女の7面が伝えられています。 |
1840年(天保11年)の祭礼行列は、八雲神社から天保11年銘のある面を借りたのだそうです。 坂ノ下の御霊神社の面掛行列の面を模したもので、洪鐘祭のために約40年振りに作り替えられたのだとか。 ただ、今回の行列で使われた面は新しい面のようです。 |
7月に行われる例大祭(神幸祭)は、八雲神社と山崎八雲神社(北野神社)の神輿と合流する行合祭。 |
2023年10月29日(日)60年に一度の円覚寺弁財天の祭礼「洪鐘祭」が行われました。 |
円覚寺は、八代執権北条時宗が宋の禅僧無学祖元を招いて開かれた。 |
円覚寺の国宝「洪鐘」は、九代執権北条貞時が七日七夜江の島弁財天に参籠して鋳造が成功したというもの。 |
江の島は神仏混淆の霊地として信仰を集めた島。 源頼朝は文覚にに命じて江の島に弁財天を勧請し、奥州平泉の藤原秀衡調伏の祈祷を行った。 |
江島神社は、奥津宮・中津宮・辺津宮からなる神社で、江戸時代までは江の島弁財天と呼ばれた。 辺津宮は源実朝が鶴岡八幡宮の供僧・良真に命じて創建。 |
江島神社の辺津宮にある奉安殿には、 女性の象徴をすべて兼ね備えているといわれる「裸弁財天(妙音弁財天)」と、 源頼朝が文覚に命じて勧請したとも伝わる「八臂弁財天像」 が安置されている。 |
洪鐘祭は60年に一度開催される円覚寺弁財天の祭礼。 |
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